小説

『きこえる』鈴木まり子(『蛇婿』)

「おや、あんた、村のもんじゃないな。でも、悪いことは言わん。こんな夜更けに、この池に近づいたら、あかん」
「私、何がどうなっているんだか・・・」
エリがかすれた声で言うと、おじいさんは心配そうな顔をした。
「きっと、へび神さまに、魅入られそうになったんや。よかったら、うちによってきなさい。うちのばあさんが、あったかいもの、食わせてくれるから」
おじいさんは、どうやら本気でエリを心配しているようだった。
 他にどうしていいかもわからず、エリは、おじいさんについていった。歩きながら、振り返ると、電話ボックスも、若い男の姿も消えていた。しまった。電話ボックスに、かばんを置き忘れた。そう思ってから、エリは頭をふって、そんなこと、今はどうでもいいと思った。そのとき、ふと、さっきの若い男が、水の上に立っていたことに思いあたった。めまいを覚えながら、エリは足を一歩、前に踏み出した。
 おじいさんの家に着くと、
「あんた、どこで、何やっとったんや」
という声がとんできた。いろりの火が赤々と燃える部屋の中で、おばあさんが仁王立ちで立っていた。
「いやあ。何。そのお。峠で、わらじが切れてしもうてな」
おじいさんは、小さな体をさらに縮めて言った。おばあさんは、ふとエリに目をとめた。
「どこの娘さんや。えらい妙な着物やな」
エリは、自分の服に目を落とす。着物を着ているおばあさんとおじいさんからしたら、へんな格好なのだろう。怒りの矛先を逃れたおじいさんが、元気を取り戻して、
「きっと、へび神さまのしわざや。へび神さまの池のほとりで、一人で立っていたから、連れてきたんや」
と言った。おばあさんは、腕組みをして、エリをじっと見て、言った。
「この人が、もののけじゃないと、どうして言える?」
エリは、つばをごくりと飲み込んだ。今、家を出て行けと言われたら、どこに行ったらいいんだろう。
 

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