小説

『メロスの友』米山晃史(『走れメロス』)

 セリヌンティウスは、それ以上語らずラクシサの街へと帰った。これから幸せになろうという彼女のため、再び自らの思いを封印して。
 牢の中で、セリヌンティウスはアンティアを思った。そして、自分自身に問いかける。私は今、友のためにここにいるのか。それとも、愛する女のためにここにいるのか。果たしてどちらなのだろうか。
 そんな事を考えながら、一日が過ぎ、二日が過ぎた。そうして時が経つにつれて、セリヌンティウスの中でメロスへの疑念が湧き出てきた。最初のうちは必ず戻ると信じていたが、少しずつ、少しずつ、処刑の時が近づくにつれて、もしかしたら戻らないかもしれないという思いが次第に膨らんでいく。メロスは愚直な男だ。だが、そのメロスとて人の子、死ぬと分かっている場所に戻ってこようとする時に、躊躇せぬわけがない。妹アンティアの幸せそうな花嫁姿を見たならば、なおの事この世への未練が強くなるだろう。
 だが、それでもいいとセリヌンティウスは思った。あの兄妹がこれからも幸せに生き続けられるのならば、自分は喜んでそのために犠牲となろう。メロスが戻ってきたら彼が殺されてしまう。そうなれば、当然アンティアも悲しむだろう。なればこそ、メロスには戻ってくることなく、そのまま村で平穏無事に過ごして欲しい。結婚の宴の席で、酒に酔い潰れ、そのまま寝過ごしてしまえばいい、と。
 そうして運命の三日目を迎え、セリヌンティウスはいよいよ刑場へと引き出された。磔のための柱が立てられ、滞りなく処刑の準備が進められる。それを見て満足そうに微笑みながら、王は言った。
「残念だ、セリヌンティウス。お前ほどの腕を持った石工を処刑せねばならぬとは」
 思ってもいない台詞と知りつつ、セリヌンティウスは平気な様子で答える。
「メロスは来ます」
「愚かな。人の心はあてにならない。信じてはならぬ。信じたら、必ず裏切られるからだ」
「なぜそこまで人を信じられないのです?」
「……お前も王家に生まれたら分かるであろう」
 セリヌンティウスは、王位を狙い家族同士で争い合い、また伴侶がいても構わず浮気を繰り返していたという王家のよからぬ噂を思い出した。
 

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