小説

『泣いた赤鬼が出来るまで』高橋真理(『こぶとりじいさん』)

「いや、昨日の男は八兵衛という男だ。私は与兵衛。私もこぶを取ってもらおうとそなた達にお願いに参った次第だ」
 与兵衛は踊りの輪から抜けると赤鬼の前にたった。なれない踊りのせいで汗をびっしょりかいている。その汗をぬぐうと手にこぶが触れるが、もうこのこぶともおさらばだと思うととくに何も思わなかった。
「あいつは来ないのか」
 赤鬼が低く唸る。さっきまで陽気だった鬼の雰囲気が暗くなったことを察知して、与兵衛は赤鬼を見上げた。
「我々の仲間になりたいとあれほど言っていたのに、あいつは来ないのか」
 赤鬼は激しく叫ぶと、赤い肌を赤黒くさせて憤怒の表情で与兵衛の前に仁王立ちをした。
「約束を守らぬ人間めっ!自ら我々の仲間になりたいといい、あんなに楽しそうに踊っていたのにすべて嘘だったのか!卑怯な卑怯な人間め!しかし、我らは違うぞ!我らは約束など破らん!!我らは人間のように非道ではないのだ!!!」
 赤鬼はそう大声でまくしたてると、ふところに手を差し入れて何かをとりだすと、与兵衛の右の頬を思い切りたたいた。その衝撃で尻もちをついた与兵衛が右の頬に手をやると、そこにはでっかいこぶがふるふると揺れていた。
「何をするっ」
 そう声を上げるが、身長が自分より倍高い相手だ。赤鬼には与兵衛の声など聞こえないようで、他の仲間たちと大声で人間の悪口を言っている。
 与兵衛はいきなり張り倒され、しかも右の頬に新しいこぶをつけられたことに激怒した。いくら相手が鬼とはいえこの怒りはちょっとやそっとじゃ収まらない。しかもなんだか与兵衛の知らない話をしているじゃないか。そんな話は八兵衛から聞いていない。
 そこで与兵衛は赤鬼の腰にしがみつき身体をよじ登ると赤鬼の耳の横で「話を聞けー」と怒鳴りつけた。
 想像もしていなかった事態と耳をきーんとつんざく声量に、赤鬼は思わず尻もちをついた。与兵衛はこれ幸いと赤鬼の胸ぐらをつかむと馬乗りになった。
 周りにいる鬼たちが怯むのを感じたが今はそれどころではない。
「八兵衛のこぶなぞ私につけおって。しかも約束というのはどういうことだ。私はここにこぶをとってくれる鬼がいると聞きやってきた。こぶを増やしてもらうためではない。約束について説明してもらおう。そうしてもらわないと鬼とは理不尽で傍若無人で図体ばかりでかいろくでなしだと書にしたためてこの村のみならず隣の村にも伝達するぞ!しかし、教えてくれたら鬼は陽気で宴好きな生き物なのだとひろめてもよい。どうだ、その方がそなたたちも暮らしやすかろう」
 赤鬼は胸ぐらをつかまれながらそんな提案をされたので、「わかった」と言っていいのかどうか迷い、目を白黒させていた。そんな中、踊りの輪の中にいた一人の青い鬼がついと前に進み出ると、赤鬼の胸ぐらをつかんでいる与兵衛の手をそっと握った。
「与兵衛さん、暴力はやめてくれ。おいらたちは皆毎日楽しく穏やかに暮らしたいんだ。人間とだって争いたくない。こぶだって、おいらたちにとっては薬の原料となる貴重なもの。良かれと思って返したんだ。それが昨日の男との約束だから」

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