小説

『泣いた赤鬼が出来るまで』高橋真理(『こぶとりじいさん』)

「おらも人間は嫌いです。おらのこの、こぶを見てください。このこぶのために毎日人間たちにいじめられて楽しいことなどないのです。だからあなたたちが楽しそうに踊る姿を見てついつい一緒に踊ってしまったのです」
「そうかそうか、たしかにそのこぶはでっかくて立派だ。さぞかし目立つだろうな。人間は目立つ物が嫌いだからなぁ」
 そういって鬼は笑うと八兵衛の前に杯を置き、酒を注いだ。八兵衛はそれを一口に飲み干すと「おらを仲間にしてください、今日はいったん家に帰らねばいけねども、必ず明日また来ますから。それまでこのこぶをおらの身代りに置いていきましょう」
「そうかそうか、このまま一緒にいればよいのに」
 そういって赤鬼は笑うと八兵衛の右のほっぺにあるこぶをひょいととりだした。
「では、これは預かるぞ。明日きたら返してやる」
「ありがとうございます、ありがとうございます」
 すっかりこぶのとれた右頬をなでながら、八兵衛は再び土下座をすると、かけるように家へ帰って扉を閉めた。そして、甕に溜めてある水を手桶で汲むとおそるおそるのぞきこんだ。
 そこにはすっかりこぶのない八兵衛の顔がゆらゆらと揺れており、思わず唇がほころび、こらえきれずに思い切り笑った。
 これでもう誰にもバカにされないぞ!おとっつぁん、おっかさん、天国から見てるか?
 ひとしきり笑った後、ふと現実に戻った。さて、明日このまま鬼たちの元に行かなければ八兵衛はこの顔で一生を送ることが出来るが、鬼たちが怒って攻めてくるんじゃないだろうか。
 しかし、悩んだのはほんの一瞬。すぐに与兵衛の顔が頭に浮かんだ。
 明日こぶがとれた八兵衛を見て、きっとどうしたのかわけを訊ねてくるに違いない。そのとき、夜、鬼の宴会へ行けば取ってもらえるといえばいいのだ。
 八兵衛はほくそ笑むと、せんべいのようにうすっぺらな布団にごろんと横になった。頭の中にはもう鬼の事も与兵衛の事もない。ただ、新しく嫁さんをもらおう。うんと働き者がいい。誰にお願いして紹介してもらおうか。などといった薔薇色の未来を想像していた。
 そして翌日。八兵衛は特に用もないのに与兵衛の家の前をうろうろした。
 与兵衛は家の中でなにか書き物をしているようだ。暑さのせいで開きっぱなしの扉の奥から硯を磨る音と墨汁の匂いがしている。
「おはなはいつもここを間違えるんだ」
「先生のこぶを見てたら間違えちゃったのよ」
「うっせーぞ、くそがき。気持ちの乱れがまんま字面に出てるんだ。心頭滅却。私のこぶなど忘れなさい」
「だってでかいんだもーん」
「いいかげん叩いてほしいか?」
 少女のクスクス笑う声と与兵衛の低いうなり声が聞こえる。いくら子供とはいえ女子と二人で部屋にこもるなんてどういう神経しているんだろうか。八兵衛が勝手に気をもんでいると、おさきが八兵衛の肩を叩いた。

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