小説

『ランプ屋』林ミモザ(『こぶとりじいさん』)

 マスターは美咲のことをよく覚えてくれていた。自分の左頬を指差して、ここ、きれいになりましたね、と笑顔で祝福してくれた。
「やあ、見違えましたよ。頬だけじゃなくて、あなたはまるで生まれ変わったみたいだ。堂々として、さらにきれいになった。お世辞抜きでね」
 美咲はホットチョコレートを注文し、こぶが消えてからの自信に満ち溢れた日々を感謝とともに彼に伝えたが、しばらくすると深刻な表情に変え、言葉を続けた。
「――でもマスター、今、私会社でひどい目に遭っているんです」
「えっ?それはまたどうして」
 美咲はここ数か月の珠美先輩の、自分に対する理不尽な攻撃にほとほと嫌気がさしているのだと正直に告白した。なんだかこの店にくると、細かいことは気にせずに自分をさらけ出せる気がする。
 心地良い音楽に身をまかせながら、彼女はどれだけ珠美先輩が自分の成功を妨げようとしているかを赤裸々に話し続けた。マスターは、黒いニット帽に時々手をやりながら、真剣な眼差しで美咲の話を聞いてくれた。
「…うーん。それは確かに、ちょっときついね。その、先輩の存在は、今の飛躍し続けるあなたにとっては、もはやアンネセサリーだと、そういうことなのかな?」
「そう、そうなんですよ!」
 再びさりげなく共感を示してくれた彼に勇気をもらい、美咲はホットチョコレートを飲み干すと立ち上がった。
「マスター、ご馳走様でした。ここで話を聞いてもらえると、私、本当に元気が出てきます。来週からまた仕事、頑張ります」
「それはよかった。お客さんの心が軽くなるなら、私も嬉しい。いつでもまたいらっしゃい」
 笑顔のマスターに送り出されて店を出た美咲は、足取りも軽く地上への階段を昇った。途中でスーツ姿のサラリーマンとおぼしき男とすれ違った。
 彼は店に入ると、親しげな様子でマスターによう、と声をかけた。
「今の娘、美人だったな。新しいお客かい」
「ああ、今夜で二度目だよ。でも若いだけあって勢いがつきすぎるんだ。ちょっと心配だよ」
 二人の会話など聞こえるはずもない。美咲はその週末を、新しい恋人のタケシと、思いきり羽目を外して遊び回った。

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