小説

『ランプ屋』林ミモザ(『こぶとりじいさん』)

 間口はごく狭く窓もなく、白茶けた木製の扉だけが目立つ建物だけれど、夕方からこうして開くということは、きっと飲食店の類に違いない。そう思って扉を開けると、意外にもその先は、地下へと続く細い階段になっていた。美咲は雷と豪雨から逃れて一息つきたいという一心で、黒い絨毯張りの階段を降りていった。
 階段を降りきると、ガラスの嵌ったドアの向こうにカウンターが伸びているのが見えた。当然他の客の姿はない。
(こんな隠れ家的な雰囲気の店に一人で入ったことはないけど…まあ、大丈夫よね)
 思い切ってドアを押した。小さくベルが鳴る。
「いらっしゃい」
 カウンターの中にいた、初老のマスターが顔を上げて彼女の方を見た。
「あの、こんばんは。ちょっと雨宿りさせていただきたくて」
「どうぞ。ごゆっくり」
 店内は重厚な色合いの木調で統一された、シックな装飾だった。カウンター七席だけの、本当に小さな店だ。美咲はそっと一番手前の席に腰を下ろした。
正面の飾り棚にはこの店の名前の由来だろうか、アンティークらしい凝った彫金細工を施した、幾つものランプたちが整然と並べられている。上質な黒革のカウンターチェアは、しっとりとした座り心地で体を包んでくれる。
「あの、ここはバー、なんですよね?私、思わずこちらに飛び込んじゃったものの、実はあまりお酒は飲めなくて…」
 美咲の言葉に、マスターは小さく微笑んだ。
 黒のタートルネックに黒のニット帽。シルバーグレーの長髪を後ろで一つに結んでいる。年齢は六十歳前後というところだろうか。彼は頭を横に振ると、こう言った。
「違う、大丈夫ですよお嬢さん。この店はお酒は出さない。ここはね、自分に不要なものをだんだんと取り払っていくための、そのお手伝いをする場所なんですよ」
「え、不要なもの…?」
「誰だって、人生には抱え込んでいる余計なものがひとつやふたつはあるでしょう?それを捨てて、本当に必要なものだけに囲まれて生きていければ、人はずっと軽やかに、無駄のない人生を送れるようになる。そうだと思いませんか。この店はそんな幸せをお客さんに与えられるようにと願って、やっているんです」
「はあ…」
 説明が抽象的すぎる。新興宗教か何かの誘いかと美咲は彼を訝った。これ以上話を聞かずに早く店を出た方がいいかもしれない。

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