小説

『ランプ屋』林ミモザ(『こぶとりじいさん』)

 最後の客先でお茶とお菓子をしつこく勧められて仕方なく担当課長の長話につきあっていると、窓の外がにわかに暗くなり、すぐに大粒の雨が降り出した。そろそろ失礼します、と美咲が腰を上げると、その課長は笑顔を見せて、
「いやー、今日は藤沢さんがいなかったから、あなたとゆっくり話ができてよかったですよ。彼女、正直言うと私は苦手でね。もう次からは田城さん、あなただけで一向に構いませんがね、ハッハッハ」などとのたまった。
「いえ、そのような悪いご冗談は止してください。私のような若輩一人ではまだいろいろとご迷惑もおかけしますので…」
 冷や汗をかきながら、美咲はそそくさと退散した。まいったまいった。こんなことが珠美先輩の耳にもし入ったら厄介だ。
 藤沢珠美は女性営業職の中ではトップの座に君臨している。大抵の男性陣より成績も威勢もいい。今年四十二歳になるが独身だった。
 時代遅れの刈り上げヘアに黒縁のメガネ、むっちりと膨らんだ頬に化粧っけはまるでない。小太りの体をピチピチのグレーのスーツになんとか包みこみ、早口の大きなだみ声で一方的にビシバシと話を進める。プレゼンにも圧倒的な迫力があるので、商談もその勢いでまとまってしまう。姉御肌で男性陣に媚びることも一切ないので、同性の部下からはそれなりに人気があった。
 美咲ももちろん珠美先輩を頼りにしている。面倒見も良いからたとえミスを犯して叱られても、ネチネチと嫌味を言われることはない。一緒に回ると仕事がどんどんはかどるので、自分もデキるような錯覚を起こしそうになるほどだった。
 しかし、得意先でも社内と同じ評判かというと、決してそうではないようだった。
さすがに最後の店の課長のストレートな物言いにはドキリとしたが、無論悪い気はしなかった。本音を言えば、社交辞令だからと自嘲や萎縮することなく、もっと高度なスキルを身につけて、そう言われるのが当然だと思えるくらいの自信を持ちたい。
 エレベーターで十二階から降りてくると、雨は本降りになっていた。風も強く、華奢な折り畳みの傘ではたいした役にも立たない。スーツの下半分はすぐに重たく濡れた。
駅への道を走り始めてものの十秒もたたぬうちに雷鳴が響きわたり、鋭く稲妻が光った。
「キャッ、イヤ!」びくりと肩をすくめて美咲はその場に立ちすくんだ。雷が小さな頃から大の苦手なのだ。美咲は目の前にあった、古びたレンガ造りの店の軒下に飛び込んで、恨めし気に空を睨んだ。
 雨の勢いは増すばかりだ。また稲妻が光り、今度は光ったと同時にダーン!と空が割れるような破壊音が空にこだました。「キャーッ!」美咲は半泣き状態になって耳を塞いだ。
 その時、通りにポツンと置かれ雨に打たれていたその店の看板に、タイミング良く灯りが点った。『ランプ屋』という名前だった。

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