小説

『ランプ屋』林ミモザ(『こぶとりじいさん』)

「ちょっと!田城ったら、何よさっきのあの提案は!あたしに何の相談もなかったじゃないの!打ち合わせ不足だって先方にバレバレでしょ、足元見られちゃうじゃないのさ!」
 また珠美先輩の厳しいダメ出しが飛んできた。
「ジェット書店の専務も苦笑いしてたわよ、最近田城くんは飛ばしてますね、ってさ。あれは嫌味言ってんのよ、わかってんの?まだ一人じゃ何にもできないヒヨッコのくせに、ったくもう」
 心から反省しているふりをして、申し訳ありません、と深々と頭を下げる。けれど俯いたその顔で、美咲は珠美先輩に気づかれないように思いっきりアカンベをしている。
(本当はもう、どこの得意先だってあんたのことなんか嫌ってるのに)
 そう言いたくなるのを美咲は余裕でこらえていた。
最近の珠美先輩は以前とは違って、些細な事で美咲にひどくあたるようになった。美咲が積極的に仕事を進めようと新しいアイデアを出すたびに、こうしてガミガミと文句を言い、まだあんたにできるはずがないとバカにした態度をとってふんぞり返る。けれど豚のように小さな目を黒縁メガネの奥で懸命に見開いて、必死で虚勢を張っている先輩を見ていると、なんだか悔しさを通り越して哀れみさえ感じてしまうから不思議である。
 美咲は長年の悩みの種だったこぶが消失してからというもの、毎日が楽しくて仕方がなかった。頬杖をつく癖はぴたりと止まり、相手の目を正面から見つめて話すことができるようになって、格段に笑顔が増えた。そうなると、もともと顔立ちの美しかった彼女の魅力は周囲の目に数倍も輝いて映るのだった。
 社内では美咲に告白する男性が後を絶たなかった。それと同時に営業成績もじわじわと上がりつつあった。得意先の担当者たちも、これまでは珠美先輩オンリーだったのが、最近では美咲を名指しして商談が進むことも多くなっていたのだ。
 ただ、そんな美咲の変化を、珠美先輩が快く思っていないのは明白だった。
先輩にしてみれば、まだまだ格下だと思っていた後輩が急激にその存在感を伸ばしてきたのだ。焦りや嫉妬の感情が生まれるのも当然かもしれなかった。しかも、自分と違い二十六歳という若さで独身の美咲に、社内外の多くの男性たちが熱い視線を送っている。今や何をしても後輩の単なる引き立て役に成り下がるばかりである。
そのことを、彼女自身が一番強く自覚していたのだろう。事あるごとに美咲のやり方に、あれこれと口を出すのだった。
 ある金曜日の午後、一人残業を終えた美咲はブツブツと珠美先輩への愚痴をつぶやきながら会社を出た。
「もう限界。ガマンできない。ほんっと、あのオバサンさえいなかったらなあ…」
 そうなれば自分の成績だって上がるはずなのに。もう会社にとって実質的な利益を生み出しているのは間違いなく自分の方なのに。今のままでは、珠美先輩にいいように利用されているに過ぎない。
 でも上司に自分から珠美先輩と組むのをやめさせてほしい、などと言えるはずもない。面白くない。
「あーあ、ムカつくなあ」
 そうしてあちこち寄り道しながら歩いているうちに、いつの間にか見覚えのある店の前に立っていた。レンガ造りの古い外壁に、白茶けた木の扉。
(あの時の――)
 何かに弾かれるようにして、美咲は階段を降りていった。

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