小説

『背伸び、しない!』原豊子(『狐と葡萄』)

 恐ろしいのは、これを真面目に語るおじいちゃんが、日本に存在するということ。そしてもっと恐ろしかったのは、面接官の一人がかなり食いついてきたということ……他の面接官を、置き去りにして。
 ここも落ちたな。コートを羽織りながら、オフィス街を歩く。深谷にラインしよう、彼女はこの会社は午後の面接のはずだ。そう思いスマホを取り出したところで、ふとメールが三件届いていた。リクナビからのお知らせメール……面接結果の通知だ。
 瞬間、寒いはずなのにどっと汗が噴き出てきた。落ち着け、落ち着け。どうせ、三社とも落ちてる。
 でも、もしかしたら、という淡い期待が、頭の中央にでんと居座っていて、思わずビルの陰に入り、冷たいコンクリートの壁に背を預ける。大きく深呼吸をして、「よし」とリクナビにログインした。どうだ。
「……やっぱり、そうだよね」
 水上出版、お祈り。再計社、お祈り。紅葉出版、お祈り―……惨敗だ。わかっていた結果とはいえ、私の周りだけずしんと重力が増す。胸が、ぐりぐりと金属棒で押されている感じがした。淡い期待なんて、やっぱり持つべきではなかった。
 ああ、出版はあと一社。今日の山姥面接のとこだけ……絶対駄目だ。こうなれば、秋まで頑張るか? いや、そんな体力、やっぱりない。傘も持っていないのに、オフィス街にはざっと雨が降り出した。

「あのさ、要はその……結婚、しない?」
 土曜日。マリアナ海溝のように沈んでいた気持ちも、克季に会った瞬間さっと吹き飛ばされた。動物を見て癒されたい、と思っていたので集合は上野にしたが、どうやら克季だけで私の精神は十分に癒されたようで、一応入った動物園では、むしろ克季のほうが「癒しだ……」を連発していた。ゆっくり見て回った後、お茶でもしようかと誘われ、ビル群の中の小さなカフェにはいると、克季が急にもじもじとし始めた。「どうしたよ」「いや……」「なんだ歯切れ悪い」「いやいや」「言いたいことがあるならはっきり言えよ」男らしからぬ態度に若干イラつき、高速ラッシュでジャブを打ち続けると。
「……は?」
 克季が、信じられないことを言ったのだ。ぱーどぅん、みー?
「や、だから、結婚しない?」
「……ごめん、なんて?」
「だーかーらー、結婚しよ」
「……念のため、もう一回」
「あーもー! 俺と、お前、結婚! わかる?」
「突然の片言!」
 まさか、こんなこじゃれてもいないカフェで、いきなりの告白、だと!? いや、別に雰囲気を気にするような女らしさは持ち合わせていない。問題はそこではない。断じて。
「それ……じき大学四年生で社会人経験もない、だけど就活うまくいかなさすぎてちょっとへこんでる女の子に、言う?」
 なんて魅力的で、甘そうな餌。超かぶりつきたい。
「俺、言ってなかったけど、手取りで月収五十万以上あるんだよ」
「へーごじゅう……月収で!?」
 公認会計士半端ないっす。

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