小説

『映る花』九条夏実(『ギリシア神話-ナルキッソス』)

 湖に行く前、俺は瑞希の家のポストに瑞希に宛てた荷物を入れた。中身はタブレットと手紙。それから貸す約束をしていた本。誰かが俺の死の真相を探った時、瑞希が受け取ったのは本だけだと言えるように。
「あんたの作ったこの動画よくないよ」
 おはよう、おやすみ、いってらっしゃい、お帰り。簡単な名前を付けたフォルダに、俺は自分の動画を保存して、何度も再生した。我ながら気持ち悪い。だけど、やめられなかった。
「恋愛ゲームみたい。あんたそんなのやらなかったのに」
「瑞希だってやらないだろ」
「虚しいって言ってたでしょ。かわいい子がかわいい声でかわいいこと言ったって所詮現実じゃないって」
 昔は本気でそう思っていた。画面の中の相手と恋愛ごっこをしたって全然面白くない。
 部屋に籠って自分で作った動画を一日中眺めて初めて、俺は恋愛ゲームにはまる奴の気持ちがわかった。
「これさ、良くないよ。あんたと話してるような気になる」
『うん』
 瑞希は「うん」とか「違う」の動画を自分の話に合わせて再生していた。おれはなるべく画面を見ないようにして、聞いてもらえないとわかっている答えを返した。
「毎日こういうの見てたらさ、中毒になるよ。画面を相手にしないで、私に色々言ってくれればよかったのに。そうしたら」
「俺は飛び込んだりしなかった?」
 死んでから、俺は何度も考えた。早まったか。両親や瑞希の虚ろな顔を見た後は猛烈に自分を責めた。
 本当に俺は駄目な奴だ。それでも、大事な人達が泣くのを見ても、やっぱり後悔がないのが一番悪い。
「でも、あんたは結局やったよね。言ってたよね。これから誰を好きになってもその相手を鏡に写る自分と比べるって。あんた以外の誰かが言ったら脳の具合を疑うよ」
「俺だってそうだよ」
 自分に恋をするなんて狂ってる。それも、突然。今まで十七年、普通に見てきた顔に一目惚れする。自分の身に起きたことでなければ俺は絶対信じなかった。
「いつか、大人になって、この好きだって気持ちは錯覚だったって思うのが怖いって言ったよね。だから、そうならないようにしたんでしょう?」
 思春期の気の迷いで片付けられるのは嫌だ。
 大学に行って、就職して、何となく結婚もして。この気持ちを間違いだと思うほど汚れる日が来るのが怖い。
 自分で自分を裏切りたくない。
「ちょっとだけ、ちょっとだけわかるよ。私さ、佐野君のこと好きだったじゃない?」
「小学校の時な」
 瑞希は当たり前みたいに同じクラスの子を好きになった。瑞希だけじゃない。俺以外の大抵の奴は中学までには初恋を済ませていた。
「この間、駅で久し振りに佐野君見かけたんだ。あんまり変わってなかった。でも、全然ときめいたりしなかった。あんなに好きだったのに」
「だって、今瑞希は譲君と付き合ってるだろ」
「佐野君が好きだった頃は他の人なんか絶対好きにならないって思ってたのに。がっかりしたよ。好きって気持ちがあっさり褪せたから」
「わかるよ、それ」
 一日中リピートしていた大好きな曲をいつからか聴かなくなる。きっかけがあって嫌いになるならまだましだ。徐々に冷めていく熱は残酷だ。
「でも、私は元好きだった人をどんどん更新して行くよ。それで、大人になって、あの人を好きだったこともあったとか、いい思い出にしてやるんだ。あんたほど純粋じゃないからね」
「純粋? 馬鹿なだけだよ、俺は」
「限界あるよ、ロマンティストにも。初恋のために死ぬとか。あんたゲーテかなんか?」

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