小説

『ろうそく心中』木江恭(『赤い蝋燭と人魚』小川未明)

 そんな日々だというのに、夜中、二人がやっと寝付いて、の様子を見に行くと――筆を握っておるのよ。もう誰も買う者のないろうそくを、必死で描いておるのよ。の腕や肩には、火傷やあざがいくつもあった。這いずって動きまわるせいで、尾の鱗は傷ついて、くすんでいた。おれが黙って立っておるのに気付くと、は寂しそうに笑ったよ。
 健気で、憐れな妹であった。それだのにおれは、その妹をすら邪険に思うようになった。が普通の娘であれば、おれはもっと楽ができたのに、との体を呪った。足がないから働くことも出来ん、嫁にも出せん、出来ることといえばろうそくに絵を描くくらいだが、それだって今となっては何の意味もない。おれはこの先ずっと、爺様と婆様と、の面倒を見なければならんのだと、そう思うては吐き気がした。苛立ちに任せて、冷たいことも言うたし、辛くも当たった。
 ひどい兄であろう。それでもは、決して文句を言わなんだ。
 そんな時であった。村に、香具師の一団が訪れた。
 あちこちの村を巡り歩いているというその一団が訪れて、村は祭りのような騒ぎになった。檻の中の大きな獣、口を利く異国の鳥に人面蛙と、見世物小屋は連日大賑わいよ。だが、はもちろん、おれも行く気にはならなんだ。
 しかしある日、香具師の元締めのほうから訪ねてきた。人魚を見せてほしいと言うのだ。おおかた、村の誰かが話したのであろうな。元締めは、手土産だと抜かして、米や餅や、干魚なんぞをよこした。食うや食わずの生活をしていたおれは、断れんかった。奥に行って訳を話すと、は悲しそうな顔をしたが、黙って頷いた。
 元締めは、をじろじろとあらゆる方向から眺め、尾に触り鱗を撫で、二言三言口を利き、満足そうに笑ったよ。を奥の間に返した後で、奴はおれに、人魚を買いたいと言った。それも、おれの言い値で買うと言うのだ。おれは、初めは突っぱねた。は、おれにとってはただ一人の妹であるから、見世物になどさせんと。だが、奴の申し出はそういうことではなかった。奴の知り合いに、美しい生き物を愛でる男がおるから、その男ならばきっと高い値で人魚を買うだろうと言うのだ。そうすれば、妹は男のもとで良い暮らしができるし、おれはその金で爺様と婆様を世話できる、それで全てが丸く収まると、そう言われて、おれの心は揺れた。
 おれが黙っていると、元締めは、螺鈿細工の見事な煙管をふかし始めた。あの煙管一つで、おれはいったい何年暮らしていけるのだろうかと、考えずにはおられんかった。
 結局おれは、その話を受けた。代わりに条件をつけた。金の一部は今すぐに支払うこと。そして、おれを連れていくこと、とな。奴は、渋い顔をしながら頷いた。
 おれは、受け取った金をそのまま村の長に渡して、爺様と婆様の面倒をよく見てくれるように頼んだ。都で働いて、金が溜まったら必ず戻るからと、頭を下げた。長は快く引き受けてくれたよ。元締めは、それだけの金を払ってよこしたというわけだ。
 都で働くと言ったのは本当だった。だが、戻るというのは嘘だった。おれは、全て捨てる気でいたのだ。育ての親も、ただ一人の妹も、育った村も、それまでのおれ自身も、何もかも。妹が件の男のもとに身を寄せるのを見届けたら、おれはそこで香具師の一団を離れ、身一つで生きていこうと決めておった。だがには、何も話さなかった。ここでは暮らしが立たぬから都へ行く、爺様と婆様のことは村長に頼んだから心配するなと、それだけ言うと、は顔を曇らせたが、おれは気付かんふりをした。
 村を発つ日になると、元締めは巨大な檻を運んできて、その中に妹を入れろと言った。おれは話が違うと怒ったが、元締めも譲らん。奴が言うには、この村から次の町には船で行くのだが、船に女を載せるのは御法度だから、けだものとして檻に入れるのでなければ、妹を船には載せられんと。それが嫌なら人魚は諦めるが、代わりに金を返せと迫られては、おれはもう何も言えなんだ。はな、檻を見ても何にも顔色を変えんかったよ。入れと言われて、はいと頷いただけであった。おれはさすがに心が痛んで、船の上ではずっとのそばにいてやろうと決めた。

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