小説

『子供心』伊藤円(『浦島太郎』)

「じゃ、麦茶も、お芋も、ありがとうね。オレ、そろそろ行く」
「え! 早いよ! まだ来たばっかりじゃんか!」
 予想通り亀田が渋ったが、
「ごめんね、またよんでね。じゃあ」
 毅然として太郎は腰を上げた。亀田は即座に見送りについてきた。兄弟たちはサトイモに夢中なままだった。靴を履いて、虫とり網に、カンカン帽に、元の装備を付け直して、それじゃあ、と亀田を牽制して一人、家を出た。ちら、と一度振り返ると、亀田が寂しそうな表情を送り続けていた。しかし太郎は、その奥の、『トーサン』が遺棄されたゴミ箱の方が、よっぽど沈んで見えるのだった。
「おっ、きみは……?」
 振り返った途端、大きな青年と鉢会った。黒い学生服を着て、じっ、と太郎を見下ろしている。
「……もしかして、オサムの友達?」
 声は出さず、太郎は頷いた。それが亀田の兄であることは確実なように思えた。すると青年は、
「ちょっと待ってて」
太郎の予想通り、先の家に入っていった。言われた通りに待機して数十秒、青年が戻ってきて、
「弟と遊んでくれてありがとな」
 そう言うと、手のひらで隠すようにしながら、太郎に何かを突き出した。
「あ、その、だいじょうぶ、」
「ごめんな、こんな所で。幻滅しただろ。でも、また、来てくれよ。きっと、きっとだぜ」
 青年は太郎の言葉を遮った。太郎の遠慮も憚らず、無理やりに固い何かを握らせた。ぼん、ぼん、力強く背中を二度叩いて、青年はそそくさと家に入っていった。どたんっ、と軽いのか重いのかよく解らない音と共にドアが閉まった。見やれば、手には、さっきやったファミコンのソフトが乗っていた。

「おかえりー」
 居間に入ると母が言った。テーブルについて、いつものクロスワードパズルをやっていて、何だか太郎はほっとするようだった。
「今日はどこまで?」
 太郎が向いの椅子に腰かけると、母は尋ねてきた。何となく返事が躊躇されて、のろ、ぼろ、帽子を取ったり、虫かごを置いたりしていると、
「あら、随分懐かしいのを……」
 母は、太郎が置いたファミコンソフトを取った。
「かめだ、ひろむ。亀田くん。……あれ? 亀田くんなんていたっけか」
 くる、くる、裏返して、油性ペンで描かれた名前を読んだ。
「今日、トモダチになった」
 太郎は、正直に言った。やはり、母に嘘をつくわけにはいかない。
「へぇ。どこで?」
「コーエン。いじめられてて、たすけた。それでウチにショウタイされた」
「あら、エラいぞ!」
 母は太郎の頭を優しく撫でた。
「怪我しなかった? 太郎も、他の皆も。エラいけど、喧嘩はよろしくない」
「大丈夫。ちゃあんと、わかってる」
 太郎は胸を張って答えた。母の賛辞に得意な気分になった。しかし、
「頼もしいねぇー。どう? 楽しかった?」
 と言われて、口ごもってしまった。そうして頭に過るのは、何故か、相当に張り切っていたような亀田の姿だった。
「……楽しかったよ!」
 太郎は、亀田のために答えた。母は、満足そうに頷いた。
「で、何したの?」
「ゲームしたり、おやつたべたり。兄弟がたくさんいて、一番上のおにいちゃんがそれ貸してくれた」
「あら、随分だったね。へぇ。亀田くんかぁ。ウチに招待されて、歓迎されて、おみやまで貰って……って、あ!」
 突然声を上げて、母は机上の紙面を指差した。

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