――そんなに嬉しいのか?――
「明日になったら、タナはまた私のこと忘れちゃうのね」ルリが妙なことを呟いた。
「何のことだい」僕が尋ねてもルリは「後でね」と言うだけではぐらかすだけだ。こわばったルリの表情が、聞かなかったことにしてほしいと言っている。
――無理に言わなくてもいいよ―― 僕は口をつぐむことにした。
「……もう帰らなくっちゃ、もっと遊びたいけど、遅くなるとタナのお母さんが心配すわ。……そうだ。明日は木イチゴを摘みに行きましょ。林の向こうに木イチゴの沢山なる秘密の場所があるの。タナにだけ特別に教えてあげる。沢山摘んで帰ればお母さんが木イチゴのパイを作ってくれるわ。お母さんのパイはとっても美味しいのよ」
無理に明るく振舞うルリの姿がいたいたしかった。
丘を下ると草の茂った道に出た。来るときはルリに付いて行くのが精一杯でわからなかったが、道から古びた家が見えることに気づいた。この家には手入れをする者が誰もいないようで、垣根は壊れかけ、庭は草が生え放題だった。中を覗いてみると、テラスにポツンと座る一人の老女が目に入った。
「あれ誰」僕は指さした。
「どこ……ああ、あれはクロナさんよ」
「ここに一人で住んでるの?」
「そうよ」
「寂いしくないのかな」
「しかたないわ、クロナさんはお婆さんなんだもの……でも……」
「でも、何?」
「……何でもない」ルリは言いかけた言葉を飲み込んだ。 ――まただ―――
僕は壊れた垣根の間を通り庭に入った。ルリはしかたないと言うが、寂しいくていいわけがない。
「駄目よタナ」
止めようとするルリにかまわず僕はテラスに向かった。一歩進むたびに庭の草がカサカサと音をたてる。その音を聞いてクロナさんが顔を上げた。
「あなたはだあれ」
「僕はタナ」
「どうしたのタナ、道に迷ったの?」
「そうじゃなくて」
クロナさんは、歳のせいで少し曇ってしまった目で僕を不思議そうに見ている。
「クロナさんは一人?」
「ええ。ずっと前から」
「寂しくない?」
「もう慣れたわ」
――嘘だ、寂しいはずだ――
そのとき、風がくすぐるように首飾りを揺らした。
――クロナさんにあげよう―― 僕は首飾りを外し、クロナさんの首に掛けた。
――花の首飾りなんて、大人のクロナさんに笑われるだろう―― しかしクロナさんは、笑いはしなかった。
「まあ、これを私にくれるの、ありがとう嬉しいわ。私に花の首飾りを掛けてくれたのはパットとあなただけよ」
「パットって誰」
「パットと私はね、子供の頃からずっと一緒で、一番の仲良しだったのよ。よく一緒に川遊びをしたわ。パットはとっても石投げが得意だったの。どんな男の子にも負けなかったのよ。丘の上で花摘みもしたわ。パットは首飾りを作って私に掛けてくれたの。パットは首飾りを作るのがあまり上手じゃなかったけど嬉しかったわ。そしてパットは、私にずっと一緒にいようって言ったのよ」
パットの話しをするクロナさんの目には涙が溜まっていた。クロナさんが悲しくて泣いているのか、それとも昔を懐かしんでのことなのか、考えてみたが子供の僕にはわからなかった。
「タナ」ルリの声がした。
「クロナさん、ルリが呼んでるから帰るね」
「今日は何をして遊んだの」パンを取り分けながら母さんが聞いた。
「花の首飾りを作った」
「そう」
「ルリが首飾りをくれたんだ」
「でも持っていなかったじゃない……壊れちゃったの?」
「クロナさんにあげちゃた。クロナさんは一人でいるのに寂しくないなんて言うんだ。だからクロナさんにあげたんだ。クロナさんはパットにも首飾りをもらったことがあるんだってさ」
「そう。クロナさんとパットは素敵な夫婦だったものね」
「母さんはパットを知ってるの」
「ええ、よく覚えているわ。二人はとっても仲がよかったのよ」
「ふううん」
「タナとルリみたいにね」
「タナは寝たかい」
「ええ、眠ったわ。とても幸せそうな寝顔でね」
「そうか……可哀そうだな。せっかく楽しい思いをしたのに」
*