小説

『忘れな草の物語』新生実(『忘れな草の語源にまつわる伝説』)

 朝起きると僕はノートを見つけ最後まで読んだ。最後のページにはこう書いてあった。
 (―――― ルリと会う方法 ――――)

 僕はベンチに座ってウトウトと昼寝をするふりをした。こうしていれば母さんは、僕が昨日まで部屋に閉じこもっていたことを忘れて、外に出てきたと思うはずだ。
 ――絶対に失敗してはいけない。もし失敗すればルリと会う機会は二度とない――
 朝食のとき、母さんは怖い顔をしていた。でも今は違う。母さんは優しそうな顔を作り、時々テラスにやって来ては僕のようすを見てゆく。眠ってしまえば僕は全てを忘れてしまう。そうすればノートを取上げるのは簡単だ。そう思っているはずだ。
 僕は母さんのようすを薄目を開けて見ていた。今は母さんのようすだけを見ていればいい。この時間に父さんは家にいない。僕は部屋に閉じこもっているあいだ毎日窓から外を見て、父さんと母さんがいつ何をしているかノートに書いていた。もうすぐ洗濯が終る。そのあと、ほんの少しのあいだ母さんは外に出てこない。僕はそのときを待っていた。
 母さんは僕がウトウトしているのを確かめると家の中に入った。僕は立ち上がり木戸に向かって走った。
 ――丘に行けばルリがいる。ルリは僕がいなくて寂しがっている。だから僕と遊んだ丘に一人でいるはずだ――
 僕のノートにはルリと丘に行ったことが何度も書いてあった。丘へ行くには、橋を渡り、草の茂った道を通り、坂を登る。
 ――丘はそこにある。ルリはきっとそこにいる――

 疲れ切った僕はトボトボと草道を歩いていた。坂道を幾つも登ったが、ルリと遊んだシロツメクサの咲く丘も、タンポポの綿毛の舞う丘も、どこにもなかった。
 僕は道に迷い、いつのまにか誰かの庭に入り込んでいた。その庭は草が生い茂っていて、どこからが草道で、どこからが庭なのかわからなかったのだ。僕は庭の奥にお婆さんがいることに気づいた。
 ――もしかしたらあの人が丘に行く道を教えてくれるかもしれない。でも、もしかしたらあの人は母さんの見方で、僕を家に連れ戻してしまうかも知れない――
 迷ったがあの人に聞いてみるほかに方法はなかった。草を踏みしめながら歩く僕にお婆さんが気づいた。
「まあタナ、また来てくれたの。嬉しいわ」
「え……お婆さんは僕を知ってるの?」
「もちろんよ。今日はルリと一緒じゃないの」
「ルリのことも知ってるの?」
「ええ……もしかしてタナ……あなた、私のこと忘れてしまったの?」
 僕はうなずいた。

 クロナさんは僕に甘い飲み物とクッキーを出してくれた。
「そう、そうだったの」
 僕はクロナさんに自分のこと、ルリのこと、ノートのこと、僕が考えていたことを全て話した。
「タナ、あなたのことはよくわかったわ。でもタナのお母さんはとっても心配して、あなたを探しているでしょうね」
「クロナさんは僕を母さんの所に連れてゆくんだね」
「そんなことはしないわ。私はパットと会えなくなったとき、とても寂しい思いをしたわ。だからあなたがルリと会えなくて、どんなに寂しいかよくわかるの。あなたに会えなくて、ルリも寂しがっているはずよ。私があなたをルリに会わせてあげる。お母さんに迎えに来てもらうのはそれからよ」
「僕とルリが会えるようにしてくれるの?」
「ええ」
「本当に?」
「本当よ。だから少しの間だけ、私にあなたのノートを貸しくれる?」
 ――ここに来たのは間違いじゃなかった――
 僕は何のためらいもなくノートを差し出した。

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