小説

『大先生』太田純平(『千早振る(落語)』)

「これ名前だったんスか!」
「そうだ。良い名前だろう?」
「ウィッス!」
 鈴木と先生のやり取りにクラスがまた笑う。その間隙を縫うように教室の後ろのほうでは密談が行われた。
「あのヒト大丈夫かなぁ」
「仕方がないよ、吉住先生のピンチヒッターなんだから」
 確かにいま教鞭をとっている先生は国語の正規教諭ではなかった。
「ていうかあのヒト誰だっけ?」
「バカ、教頭だよ教頭」
「えぇ? 教頭?」
「あぁ。藤原先生」
「あのヒト国語の免許持ってんの?」
「さぁ……」
 そんな生徒の内緒話を後目に、先生が和歌の現代語訳を披露する。
「私の家も、都のたつみちゃんの家も、シカが住んでいます。まるで宇治山みたいだね、と人が言っています。――まっ、こんな意味だな」
 都のたつみちゃんの家にシカが住んでいる。先生のこの発言にクラスは大ウケ。「シカだって」「シカだってよ」と、そこかしこで同じことを言い合っている。しかし国語が得意な生徒の何人かは「本当にそんな意味だったかしら」と教科書をめくり答えを求めた。その時だった。
「先生!」
 とまた不意に手が挙がった。今回は眼鏡を掛けた華奢な男である。
「今の先生の解説は間違っていると思います!」
 彼は先生を公然と批判した。新藤という生徒だった。クラスの耳目が一気に彼へ集まる。

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