小説

『望郷』太田純平(文部省唱歌『故郷』)

「な、なんでって――」
「だって普通、男子は『技術』か『保健体育』じゃん。なんで『音楽』選んだの?」
「いや、別に――」
 私はお茶を濁しながらも、教室の後ろでキャピキャピおしゃべりをしている女子生徒たちを盗み見た。私が音楽を選んだ動機は極めて不純だった。女の子にモテたい。それだけだった。厳密には、私の好きな女の子が音楽を選ぶことを知っていたので、同じ授業を受けようと、あえて男子が少ない音楽を選んだのだった。だから人前で歌を唄うのは恥ずかしいし、区民会館で行われるコンクールなんて、正直どうでもよかった。
 スライド式の前扉が開いて須賀先生が入って来た。白いブラウスに黒のロングスカート。私から見たら別に先生の格好は変ではないが、ヤンチャな女子生徒たちは、先生が私服で何を着てきても「ダサイ」とか「地味」とか聞えよがしに批判した。その馬鹿にしている女子グループの中に、私の好きな女の子である桐沢が混ざっているのが、何とも苦しいところだった。
 前列に集まっている真面目な生徒たちに、須賀先生が「暑いね」などと挨拶をして、ピアノの前についた。先生が生徒たちの人数を数え始めたが、優秀な女子生徒から「十八人です」とすぐに声があった。二十人のうち部活の関係で欠席したのが二人。男子は四人ちゃんと参加していた。
 先生は「ちゃんと集まったね、偉い偉い」と褒めてから、ピアノの前に集まるよう、後ろの生徒たちに声を掛けた。
 桐沢をはじめ、団扇で扇ぎながら談笑をしている生徒たちは、相変わらず先生の言うことをきかなかった。男子も男子で固まったまま動こうとしない。 その時、私はさすがに「ないな」と思った。休もうと思えば休めたのに、自ら望んでここへ来た。にもかかわらず、何もやらない、おしゃべりをしている、というのであれば、ハッキリ言って、先生や真面目な生徒たちの邪魔をしている、ということに他ならない。言語化すればこうだが、実際はもっと直感的な衝動だった。
 二つに割れた教室の中、私はギーッと椅子を引いて立ち上がった。すると射るような視線が何本も私を貫いた。「こいつは何を言うんだ」という注目が集まる。しかもそれは、先生に対して批判的で、悪ふざけのような発言をすることへの期待だった。
「ちゃんとやろうぜ」
 静まり返った教室に私の声が響いた。猿山が笑う手前のような顔で辺りをきょろきょろ見る。まるで私が冗談で言ったのかどうか見定めるように。
しかし、私がピアノのほうへ向かって行くのを見て、猿山は「お前もそっちか!」と私の背中に叫んだ。
 体がカッと熱くなるのを抑え、私は振り返らずに前列の輪に加わった。教室の後ろが何やらワーッと騒ぎ出す。私をおちょくっているのだけは何となく分かった。
 須賀先生が「ハイハイ静かに」と手を叩いて注意してくれたが、彼らの声はやまなかった。
 興奮で楽譜を持ってくるのを忘れた私に、近くにいた女子生徒が一緒にどうぞと見せてくれた。
 やがて先生の伴奏が始まった。私は音痴だったが、声だけは出した。後ろの連中が私を指して笑っていたが、別に恥ずかしくはなかった。

 
 しばらく練習した後、休憩になった。後ろの連中は結局、動かなかった。むしろ男女がひと固まりになって地べたに座り、まるでこちらの合唱に対抗するように騒いでいた。

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