小説

『座敷童子たちの庭』川瀬えいみ(『座敷童子の伝説』(岩手県))

 彼の名前は、湯田マモル。
 江戸時代には付近一帯の庄屋を務めていた家の一人息子。物静かで、少しばかり――否、かなり――魯鈍なところのある少年だった。
 時代が時代なら、いじめの対象になっていたかもしれないが、当時この辺りではまだ“元庄屋”にはそれなりの権威があった。“元小作農”の家の子や“田畑も持たない勤め人”の家の子が“元庄屋”の惣領息子をいじめるなど、とんでもないことだったのだ。
 その逆――いじめる側が“元庄屋”の惣領息子で、いじめられるのが“元小作農”の家の子や“田畑も持たない勤め人”の家の子だったなら、また話は違っていただろうが。
 しかし、マモルは庄屋の跡継ぎ息子であることを笠に着て傍若無人に振舞うような子供ではなかった。
 マモルは大人しい子供だった。元気があり余っている他の子供等のように声を荒げたり、乱暴な行為に及んだりしたことは、一度もない。
 マモルの魯鈍は“寛大”に通じるところがあった。マモルは皆に好かれていた。

 “元庄屋”のマモルの家は大きくて、小学校の校庭より広い庭があった。
 表の庭は、池があり、松の木が植えられ、庭石が置かれている日本庭園。
 裏の庭は、村人たちが庄屋の家に集まる際に乗ってきたトラックやトラクターを停めておくための駐車場で、土が剥き出しの広い空き地になっていた。
 下校時刻になると児童生徒を締め出す校庭と違って、マモルの家の庭は時間無制限で遊び放題。
 そこを『いいよ』と言って、好きに使わせてくれるのだから、学友等は皆、マモルに感謝していた。
 小さな農村では、平地はすべて田んぼや畑になっていて、追いかけっこや影踏み鬼、花いちもんめ等、大人数での遊戯ができる場所は他になかったのだ。

 その上、マモルの家には座敷童子がいた。
 五人で遊んでいたはずなのに、数えてみると六人いる。十人で遊んでいたはずなのに、数え直すと十一人いる。
 だが、遊んでいた子供たちは全員、最初からいた。途中から増えた子はいないし、知らない子もいない。
 それが座敷童子だ。
 ツトムも、マモルの家の庭で、
「あれ、一人増えてる」
と思ったことが、幾度かあった。
 座敷童子のいる家は栄える。座敷童子が去ると、その家は没落する。
 そう伝えられている、子供版福の神、座敷童子。
 だから、マモルの家はいつも明るく賑やかなのだと納得した夏の午後、秋の夕暮れ。
 そんな不思議な体験も含めて、ツトムの幼い頃の楽しい思い出はすべて、マモルの家の庭にあったのである。
 町の高校に通うようになると、マモルの家の庭で遊ぶことはなくなり、都会の大学への進学後は、ツトムが故郷の友を思い出すこともなくなっていたが。

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