小説

『八百万人事課』小柳優斗(『ちんちん小袴』(新潟県佐渡島ほか))


 八百万人事課――。
 誰も信じないだろう。役目を終えた神様を迎えに行く課があるなんて。
 天地開闢以降、この世にはたくさんの神様がいる。八百万なんて言葉があるけれど、そんな数じゃとても足りないほど、いる。
 今以て篤い信仰を集めている神様がいる一方で、わたしたちの暮らしが便利になっていくに従って、忘れ去られていく神様もいる。そうした神様たちのところへ出張して、神様たちの隠居地である「常世の国」への移住手続きを行うのが、わたしたち八百万人事課の仕事、ということになる。
 御手洗さんはこの道十五年目のベテラン……というより、何の因果か、新人でわけも分からずに入ったわたし以外の、唯一の職員だ。彼以外、上司もいなければ先輩もいない(後輩も期待できない)。なんでわたしなんかをスッパ抜いたのか、何回も問いただしてみたけれど、御手洗さんは全然教えてくれない。
「そんなことより、次は猿神様ですよ」
 とかなんとか言って、さっさと仕事に行ってしまう。
 忘れられつつある神様は、そのままにはできない。自分の今の境遇を悲観して、祟り神にでもなられたらたまらない。キレやすいヤツ(じゃなくて、お方)は、本当にすぐにキレるし、キレてからが長い。八岐大蛇を倒したスサノオが、何が気に食わなかったのか京都に疫病ぶちまけて以降、京都は毎年、祇園祭でスサノオの機嫌を取っている。そこに伴う危険は、相手がいわゆる「民間神」であればあるほど怖い。最近だと、一番危なかったのが箒神だった。祟りを発症した場合の危険度は、そんじょそこらの神様の比じゃなかった。箒神が、「安産」を司る神様だったからだ。
 神様の力ってのはプラスにもマイナスにも簡単に転じる。つまり、箒神がその力を悪い方向に使えば、お産を全て難産に持っていくことができるということだ。箒神が祟り神となった場合、日本中から出産がなくなる可能性すらあった。そうなる前にお迎えに上がり、理を説いて納得してもらって常世の国に移ってもらう、それがわたしたちの仕事だ。
 神様との交渉は御手洗さんが、十五年間で培ったスキルに物を言わせる。どんな神様相手にも礼節を尽くし、一方で決して譲らない御手洗さんは、この仕事をするために生まれてきたような人だ。が、この人がここで働いている理由も、全然知らない。神職関係の家柄なのかと思いきや、そんなこともないらしい。わたしだって違うし。
 陰陽師的な呪術を使うわけでもない。することは、本当にただただ「対話」だけだ。そしてこれが、とんでもなく上手くいく。御手洗さんの説得に応じなかった神様なんて、一柱もいない。これが彼の特別な力なのかと思いきや、そんなことでもないらしい。そもそもなんで、わたしや御手洗さんに神様の姿が見えるのかとか、まったく説明がついていない。そうした色んな前提の理由を聞かないまま、気づけばこの職場で3ヶ月ほど働いてしまっていた。御手洗さんも変な人だけれど、わたしも相当ヤバいなと思う今日このごろだ。

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