小説

『時と夢の旅人』田村瀬津子(『浦島太郎』)

 姉は晃さんの耳元に唇を近づけて、おーい、早く目を覚ましてよーと言った。そして両手で晃さんの頬を包み、変な顔、情けない顔などと言いながら晃さんの顔を弄んでいた。
「どうしてそんなに愛せるの」
 晃さんに聞こえてしまうと知りながらも言ってしまう。
「千絵が同じような状態になって、近くにいたとしたら、同じことをしてあげる」
「私には無理だわ」
「自然にできるようになるよ」
 私は返す言葉を見つけられずにいる。
「憐みじゃなくて、希望をちょうだい」
 私を見据えながら言った。
「会った途端に涙ぐむママ友とかもいた。自分だったらとても耐えられないと言って」
「どうしても憐れんでしまうからだよ。力になろうとしているのに」
 私も同じような無力感を抱いていた。
「ごめん。晃さんの前でこんなひどいこと言って」
「多分、言葉で伝えなくても受け取っているのだと思う。今のパパの意識というか無意識はそういう感じ。もっとパパと繋がっていたいの。パパが何を望んでいるか全て分かってあげたい」
「意識がある世界にどうしても戻って来たいのよ」
 私は言葉を繋ぐ。
「晃さんは宇宙の海の底のような場所で眠り続けているの。超高速の宇宙船で旅をしながら」
「どうして超高速なの?」
「超高速で移動すれば、時間はゆっくりとしか進まないっていうじゃない。予定や約束に急かされたり、アラーム時計の鳴る音で起こされたりしないその旅は、この上なく心地よいことなの。竜宮城で過ごしているみたいに。天国が空の上にあるのだとしたら、そこは宇宙の海の底のような場所に違いないから。そういう旅を続けながら、傷ついた脳を休ませて癒している。そう思いたいな」
「ずっと待っていてあげればいいのね」
 姉はそう呟きながら、晃さんの顔に頬を寄せた。

1 2 3 4 5 6