小説

『時と夢の旅人』田村瀬津子(『浦島太郎』)

  私は想像しようとしていた。一筋の光も届かない、宇宙の深海の底で眠り続けている彼の姿を。私はその寝顔をじっと見つめながら、きっと大丈夫だよという呪文の言葉を囁き続けている。彼の体を擦りながら、その意識と無意識の隅々にまで沁み込ませるようにして。きっとそれが心から望みながらも、最も恐れていることなのだ。これ以上は想像できないという極限まで、彼を守り抜くことを。
「パパったらね」
 姉の言葉で、私の意識は車中に舞い戻った。
「子供たちの声を聞くと涙を流したりするの。それでお見舞いに連れて行きづらくなってしまって」
「チビちゃんたちはパパの前で泣き出したりしないの?」
「しないわ。パパはただ眠り続けているだけだと思っているから」
 子供は今この瞬間だけを精一杯に生きながら、永遠の時を味方につける術を知っているのだった。

 病室に入り、晃さんのベッドに向かう。晃さんは口を半開きにしたまま、安らかに眠っている。
「私の結婚のことだけど」
「話が脱線して、中途半端なままだったね」
「結婚式も披露宴もしないつもり。だから晃さん不在の挙式ということにはならない」
 姉は満面の笑顔を私に向けた後に、晃さんの頬に触れながら囁く。
「千絵におめでとうって、瞬きしてあげて」
 瞼が微かに動いたような気がした。
「もう一度」
 瞼は動かない。姉は惜しいと言って、晃さんの片目を親指と人差し指でつまんで開けた。焦点の合わない潤んだ瞳が宙を見つめている。
「これは起きているときの目だわ」
 私はえ? と聞き返す。
「起きているときと寝ているときの目は少し違うの。瞼はずっと閉じたままなのだけど」
「寝ているときはきっと、夢の中で目覚めているのね。ずっと旅を続けたまま」
 私はそう言って、晃さんの片手を握り締めた。晃さんの瞼は動かないままだった。

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