小説

『ミラー』ウダ・タマキ(『姑と嫁(長野県木曽地域)』)

 やがて、待望の息子が生まれました。忠介です。中山家の跡取りができたと、夫もお義母さんも喜んでくれました。しかし、何事も時が経てば状況は変わります。幸せに満ちた時間というものは、いつも何かをきっかけに歪みが生じてしまうもので、それは目に見えて明らかな事象のこともあれば、極めて小さくて些細なことかもしれません。
 私にとってのそれは、『昼食』でした。
 私一人なら昨晩の残り物や冷凍食品なんかで間に合うのですが、いかんせん、お義母さんがいらっしゃるのでそうはいかないのです。高齢であるお義母さんの健康に配慮して多くの野菜を使い、飽きないよう和洋中といった様々なジャンルの料理を考えます。
 私は特に昼食を作ることには尽力してきたのですが、月日の経過に伴いより一層、そう努めるようになったのには理由がありました。
 夕食の席には夫がいて仕事の話や、その日の忠介の話題なんかで賑やかですが、昼食の時にはそうはいきません。昼食は忠介を寝かしつけてから始まります。静寂の中、箸やフォークが食器に触れる音に続いて食べ物を咀嚼する音が鳴り、時おり庭の木々に遊びに来た小鳥の囀りなどが窓外に聴こえはしますが、どれも静寂を打ち破るには至らないのです。
 以前なら「学生の頃はどんなスポーツを?」とか「これまでに訪れたことのある国は?」など、お義母さんの私に対する好奇心から自然に会話が発生したのですが、毎日こうして顔を合わせていると話題も尽きてしまいます。それもそのはず。私は朝から晩まで家事と育児に追われ、お義母さんは居室でテレビを見たり昼寝をして過ごすのですから。孫の話といっても、日々の成長の過程は熟知しているので、取り立てて話をするような新しい体験などあるはずもなく、強いて言えば近所のスーパーで何が特価で売られていたか、なんてことくらいのもの。
 そうなると私達の間に生まれる話題は、今、目の前に並ぶ料理のことくらいしかありません。
「この味付け、良いわね」と褒められると会話は弾みますが「ちょっと私には硬いね」などと言われると「すみません」と返すに留まってしまいます。最初の頃は「いいのよ、気にしないで」と優しい言葉がありましたが、半年も経つと、お義母さんの口からは賛辞に代わって溜め息が漏れるようになりました。
 お義母さんの後方に大きくとられた窓に広がる庭の景色。その向こうにはちらほらと薄いピンクに染まる山々が連なり、まるで借景のように庭との見事な調和を生み出します。私は窓枠の額縁にはめられた風景画のような景色を眺め、綺麗だな、なんてことをしみじみ思いながらその場をどうにかやり過ごすのでした。
 お義母さんが私に対して明らかな悪態をついたのは、中山家に嫁いで三年目の初夏でした。
「亜子さんの料理にも、いい加減飽きてきたわね」
 それは活気ある蝉の鳴き声とはまるで対照的に、抑揚がなく、ゆっくりと、しかし強い感情が込められたものでした。
「そんな、私は一生懸命……」
「亜子さんは悪くないわ。育ってきた環境のせいよ」
 吐き捨てるように発せられた言葉に私は悲しさと悔しさに打ちひしがれ、それ以上は何も言い返すことができませんでした。なんと酷い仕打ちでしょうか。家族のために尽くしてきたにも関わらず、私のルーツさえも否定されたのですから。
 私はお義母さんの前で笑顔を作ることができなくなりました。そんな私にお義母さんは冷たい視線を向け、ろくに口をきいてくれないのに、漸く口を開いたかと思えば小言ばかり。

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