小説

『ミラー』ウダ・タマキ(『姑と嫁(長野県木曽地域)』)

 私が常に笑顔、感謝の気持ちを保ち続けられるのは御守りのおかげ。終わりの見えぬ苦労は耐えかねますが、たかが三か月と思えば、それは苦労ともならず、むしろお義母さんに対する憐れみと愛おしさすら覚えるのでした。来る日も来る日も、私は腕によりをかけて昼食を作り、こっそりと白い粉を混ぜては彩鮮やかな料理を恍惚と見入るのでした。
 一か月も経つと、徐々にお義母さんに変化が見え始めました。私に対する表情は柔和になり、言葉には優しさが戻ったのです。私は思いました。薬が奏功しているのだと。人は死期が近付くと穏やかになると聞いたことがあります。今、まさにお義母さんはその時期に入り始めたのだと私は確信したのです。
「あと二か月」
 そう呟き笑みを浮かべた私の心には、紛れもなく悪魔がいました。
 月日が経つにつれ、お義母さんの私に対する言葉は、さらに優しくなりました。すると、私自身もお義母さんに対して、これまで以上に優しく接することができるようになったのです。それが今の生活がいずれ終焉を迎えるという思いからではなく、純粋な愛情によるものだと気付いたのは、薬を混ぜ始めて二か月が経った頃でした。
 私は食事に薬を混ぜることに躊躇いを感じ始めました。大きな罪悪感と自責の念に襲われ、立っているのもままならない状態となり、猛烈な嘔気を催した私は慌ててトイレに駆け込みました。頭の中には様々な思考が巡り、今、目の前に存在する現実が遥か遠くのことのようにすら感じられるのです。
 それでも私はどうにか気持ちを奮い立たせてキッチンに戻ると、そこで漸く現実が私の目の前に立ちはだかりました。
「忠介!」
 床に溢れた白い粉をその小さな手のひらに付け、まるで砂糖のように無邪気に舐める忠介がいるではありませんか。
 私は気が動転しながらも忠介を抱き抱え、慌てて夫の営むクリニックへと向かいました。
 父親に会えた忠介は無邪気に喜び、夫も笑顔でそれに応じます。
 私は……一人大きく肩を上下させ、その頬には涙が伝っていることに気が付きました。
「忠介が……薬を舐めてしまって……」
 崩れ落ちる私の頭に触れるは夫の手。
「亜子、すまない」
「えっ?」
「大丈夫。あれには毒性が一切ないんだ」
 私はその言葉に理解が及びませんでした。
「ごめん、少し刺激が強すぎたな。だけど、仕方ない。人は失いかけて初めて気付くものさ。亜子ならその意味を分かってくれると思ったから」
 私は泣き崩れました。
「亜子には亜子の人生がある。そろそろ忠介は保育園に通っても良い頃だ。お袋は介護サービスを使って刺激を得るのも良いだろう。これからは趣味でも仕事でも、亜子の好きなことをしたらいいさ」
 私は顔をくしゃくしゃにしながらも笑いました。すると、私の心を映すように、二人も笑顔を浮かべるのでした。
 その帰り道、私は金木犀の蕾が少し膨らんでいることに気が付いたのでした。

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