小説

『パプリカ』ウダ・タマキ(『檸檬(京都)』)

 料理はほとんどしない。野菜不足を補うため、せめてインスタントラーメンに葱を添えようとやって来ただけの私が、パプリカの使い道など知る由もない。が、あたかもそれを求めていたかのように買ってしまった。
 朝昼兼用のラーメンを食す。白い壁を背景に黄色のパプリカを眺めながら。つまらない顔をしている私に「どうした、そんな顔して」と囁きかけるように、パプリカは私のことを蔑んだ目をして見つめている気がした。
 しかし、このような鮮やかな色は伝統ある京の街にはそぐわない。事実、全国チェーンのコンビニやレストランさえ看板の色は控えめで、赤には茶色が、青には藍色が施されている。つまり鮮やかな原色はこの街の景観を乱すのだ。
 晒してやろう、そう思った。この街の最も原色を欲していない場所にパプリカをそっと置き、まるで不釣り合いな光景を生み出してしまおう。かつて石川五右衛門が釜茹での刑に処された三条河原に架かる三条大橋、罪人を乗せた舟を大阪へと運んだ高瀬川、かの哲学者が思想に耽った哲学の道、湖水を運ぶ琵琶湖疏水。どこだっていい。紅葉の見頃に沸くこの街の片隅に、突如としてパプリカが現れるなど誰が想像できるだろうか。そうすることの意義を問われるならば、答えはない。ただ、その場に相応しくないパプリカを置き、辱めを与えるという行為が生み出す現象を目の当たりにしたいだけである。

 三条大橋には多くの人が行き交っている。河川敷の木々は色づき、秋の爽やかな風を受けて囁き合うカップル達が四条方面へと等間隔に続く。川の流れは穏やかである。陽射しをその流れに跳ね返し、川面は無数の小さな光を絶えず放っている。平和と表現する他ないこの光景を、私は擬宝珠に付いた刀傷に触れながら眺めている。
 袋から取り出したパプリカを欄干の上にそっと置く。じっと見つめる。平和な景色はピント外れの曖昧な背景と化し、黄色いパプリカが悠然とそこに構えている。私にはそれが愉快だった。今、目の前の光景は全てこのパプリカを中心に広がり、かつての池田屋騒動、悶え苦しむ石川五右衛門、時は流れて愛を育むカップルさえも黄色いパプリカに飲み込まれてしまった。
 一歩、また一歩。私はパプリカを置いたまま、その場から離れた。通り過ぎる人々が不思議そうな顔をしてパプリカを横目に流していく。中には「えっ? パプリカ?」などと笑い声が聞こえたりもするが、誰もが警戒心を抱き立ち止まりはしない。もしかすると、これはパプリカの顔をした爆弾なのかもしれない、なんてことを想像して私はほくそ笑んだ。
 三条大橋の欄干に佇むパプリカは、ただ心地良い秋の風に吹かれ、時おり好奇の眼差しを向けられ、一瞬だけ彼ら彼女らの話題をさらっただけで、爆発などすることなく、そのひと時を穏やかに過ごした。
 私はベテランのスリよろしく、通り過ぎ様に素早く手を伸ばして欄干のパプリカを回収すると、三条通りを河原町方面へと歩いた。
 この界隈はより一層賑やかである。南北に走る河原町通りの両脇には商業ビルが建ち並び、歩道を行く人達の多くがその手に買い物袋をぶら下げ、皆一様に笑顔だ。
 私は笑顔の群れを横目に百円ショップへと入った。迷うことなく黒と赤のサインペンを手に取り、レジで百十円を支払うと、そそくさと店を後にして木屋町へ抜ける路地に入り、高瀬川のほとりのベンチに腰掛けた。
 サインペンでパプリカに顔を描く。ぱっちりとした瞳に高く口角を上げてニコリとスマイル。ほっぺには赤丸も添えた。頭に少し突き出たヘタは、まるでベレー帽を被っているようにも見える。なかなかの出来栄えだ。
「よしっ」と呟き腰を上げると、次は高瀬川の小さな橋の欄干にそれを置いた。川面には罪人を運ぶ舟の代わりに色付いた紅葉が滑るように流れ行き、パプリカが笑顔でそれらを見送る。川幅が随分と狭いため、三条大橋のそれよりも遥かに映えるように思えた。
 時おり橋を渡る人達がパプリカに目を向ける。さっきとは違う笑みを浮かべたパプリカに、まさか爆弾などと疑う者はなく、皆もつられるように笑顔を見せる。スマホで写真を撮る人もいる。人は見た目によらずとよく言うが、いや、この場合はパプリカではあるが、やはり見た目が与える印象は大きいようで、誰もが躊躇うことなく場違いなパプリカにさえ温かかった。

1 2 3