小説

『あれはきっと、同じ月』草間小鳥子(『やまんばのおはなし(福岡県糟屋郡志免町)』)

 織子はぶんぶんと頭を振って、早足で琴音に追いつき手をとった。
「ほら、月」
 琴音が指差す方へ目をやると、歩道橋の欄干越し、二人が暮らす低い団地のてっぺんに、ぽかんと満月が浮かんでいた。
「大きいねぇ」
 織子が言葉を漏らすと、もう吐く息が白かった。言ってしまってから、良い母親なら、ここでどんな言葉を掛けただろう、とふと思う。
「ね、大きいねぇ」
 琴音はぴょんと跳ね、満足げに織子とつないだ手を振った。
「あの窓が、いちばん素敵だね」
 琴音が指差す先に、織子たちの部屋の窓があった。朝からつけっ放しにしておいたリビングの明かりは暖かく、駆け出した琴音を追いかけながら、これでいいのか、と織子は不安になる。
 私たちは、これでいいのか。

 なくしたと思っていた琴音のヘアピンは、通園カバンのポケットの底にあった。おだやかな寝息をたてる琴音の額を撫で、織子はベランダに出た。サンダルの足先がかじかむ。洗濯物を干し終え夜空を仰ぐと、満月はもう空の真上だった。
「うん、月」
 誰にともなく、織子はこぼす。
 こんな月を、前にも見た。
 風邪をこじらせ、遠吠えのような喘鳴を起こした琴音を夜間救急病院へ担ぎ込んだ帰り道。深夜営業の薬局を目指し、琴音をおぶって病院の裏の寂しい舗道を織子は辿った。だだっ広い夜空の真ん中に満月が輝き、月明かりに照らされ、夜道だというのに足の先までよく見えた。
(お月さま、どうか見ていてくださいね)
 織子は唇を噛み、寝入って重くなった琴音の体を背負い直した。小さい頃に母から聞いた、お月さまの鎖の話を思い出す。仕事帰りの母親を食った山姥は、子どもたちも食ってやろうと母親に化ける。あの手この手で兄弟を出し抜いた山姥は家へ上がり込むが、正体がばれ、子どもたちは夜道を逃げ出す。山姥に追われ、とうとう木のてっぺんに追い詰められてしまう兄弟。すると、月から金の鎖が下りてきて、鎖につかまり兄弟は天へとのぼってゆく。
「その兄弟は、死んだの?」
 幼い織子は、その時母親に尋ねた。やはり月の明るい晩で、喘息を起こした織子は母におぶわれ夜間救急からの帰り道だった。
「ぶじ母さんに会えたんだよ」
 答えになっていない、と織子は思ったが、それ以上は聞かなかった。ずり落ちてきた織子を背負い直し、母親は続けた。

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