小説

『うどん屋のアレ』室市雅則(『榎木の僧正(京都)』)

 しかし、うどんに自信が無いからというわけではなく、もう一品のアクセントがないと寂しい気がする。そこで、『だし巻き卵』を新たに加えた。
 注文を頂いたら、うどんと同じ出汁をベースに使って作る出来立ての一品だ。うどんとの両立は難しいかなと思ったが、近頃、妻が店を手 伝ってくれるようになったので、私は調理に集中できるから大丈夫だ。

 大丈夫じゃなかった。
 味が落ちたとかサービスが悪くなったとか、何かトラブルが起きたわけではない。
 今度は『だし巻き屋さん』と呼ばれ始めてしまった。お客さんの希望があまりにも多いのでテイクアウトを始めたところ、行列ができるようになり、ひたすらそればかりを作るようになったのだ。
 これでは『うどん屋』の名が廃る。
『だし巻き卵』の販売も取りやめた。
 しかしながら、おかげで資金の余力が生まれたので、もう少し繁華街に店舗を越し、心機一転を図ろうと妻と決めた。

 店が少し広くなり、我々夫婦だけでは手が回らないのでアルバイトを雇うことにした。
 貼り紙を見てやって来てくれた女子大生二人に働いてもらうことになった。何人か面接に来てくれたのだが、この二人だけが、うちの『うどん』が美味しいからと言ってくれたことが決め手になった。中には『稲荷寿司を復活させたい』と意気込んでいる主婦の方もいて熱意を感じたが、うちはうどん屋である。
 リスタートにあたって、稲荷寿司もだし巻き卵も出す予定はないのだが、自分が大食漢であるからか、やはりもう一品が欲しいと思うのだ。そして、さてと思い浮かんだのが『ポテサラ』だ。マヨネーズが出汁の滋味を消してしまうのではと危惧される方もいらっしゃるかもしれないが、それは心配がない。
 以前、おでんとして提供しているジャガイモと卵を潰し、マヨネーズを和えてポテサラとして出しているお店があった。おでん出汁とマヨネーズの素敵なハーモニーだった。
 とてもシンプルで、特別なことはないので、流石に『ポテサラ屋さん』と呼ばれることはないだろう。

 あった。
 何がいけないのだろう。
『こんなふかふかなポテサラ初めて』、『作り方を教えて欲しい!』と大盛況になってしまい『あ、ポテサラ屋さんだ』と道で子供に言われた。
裏ごしをしたジャガイモとゆで卵にマヨネーズを和えただけなのに。
 こうなって来ると訳が分からなくなってくる。
 未だに『稲荷寿司』の注文を断らなくてはいけないし、新聞に『だし巻き卵』のことを投書されたし、その中で『ポテサラ』を求めて行列が出来ていて、合間に『うどん』も茹でなくてはいけない。
 違う。
『うどん』が合間ではいけないのだ。
『うどん』の合間に他のものでなければいけないのだ。
 言うなれば、白米をおかずにたくあんを食べるようなものだ。
 ん? と私の中で疑問が浮かんだ。
 白米をおかずにたくあんを食べてはいけないと誰が決めたのだ。そのような人もいるかもしれない。それは悪いことだろうか? 
 そもそも『うどん屋』を始めたのは、誰かに喜んでもらうためだったはず。それを『うどん』に固執するのは、独りよがりのように思える。
 けれども、ちっぽけだがプライドもある。
 私は『うどん屋』だ。
 さて、どうするか。

「お父さんの好きなようにしなよ。お父さんのお店なんやから」

1 2 3