小説

『レイラ~カムイコタンものがたり~』難波繁之(アイヌ民話・伝承『神居古譚 〜魔神と英雄神の激闘〜(北海道旭川市)』)

 予言の日になりましたが、イ・シカラ・ペツは緑色の水を湛えるだけで、チェップの姿は一匹もなく、コタンの人々に動揺が広がりました。イソンノアシはうすうす気が付いていました。この秋たけなわ、イ・シカラ・ペツがチェップで真っ黒になるシーズンに一匹の収穫もないのはきっとニッネカムイが悪さをしていると考えていました。イソンノアシはコタンの人たちに「イ・シカラ・ペツの下流を見てくる」と言い残して、自慢のク(弓)とアイを担ぎ、下流へと向かいました。下流へ向かって1時間ほど歩くと目を疑う光景が広がっていました。イ・シカラ・ペツが川幅いっぱいに大きな岩で塞がれて、下流から遡上してくるチェップが通れないようになっていました。チェップは産卵のために海からイ・シカラ・ペツの上流に向かってやってきます。そのチェップを上川アイヌの人たちは冬を越える大事な食料として捕獲するのです。そのチェップの遡上を塞いでいる大きな岩を置いたのは魔神ニッネカムイでした。
 そして、せき止められたイ・シカラ・ペツの大量の水があたりいっぱいに広がり、大洪水となっていました。水で覆われた大地には行き場所を失った大量のチェップが森や岩場を彷徨い、あちらこちらで水から飛び跳ねていたのでした。「このままでは、チェップは全滅、そしてコタンにも洪水が押し寄せる」イソンノアシはニッネカムイの気配を探りましたがなかなか見つかりません。
 イソンノアシは叫びました。「ニッネカムイ、出てこい!このような悪行は許さない!」イソンノアシハはクに毒を塗ったアイを装着して周りをジッと睨みました。ふっと森にある大樹に大きなものの気配を感じました。鈍い鉄色をした皮膚。赤く光った瞳。口からは炎らしき煙ったオレンジの光が見えた。「ニッネカムイだ!」すぐさま、アイを装填しクを限界いっぱいに引き、ニッネカムイに向けて放った。「カン!」と音を立てて、アイはニッネカムイを貫くどころか、その岩のような厚い鉄色をした皮膚に跳ね返されていました。イソンノアシは次々とアイを放ちましたが、ことごとくニッネカムイの厚い皮膚に跳ね返されました。
 ニッネカムイはイソンノアシハに向かってきました。そして、あの赤い目でイソンノアシを睨むと、Vの字に割れた口から火炎弾を放ちました。イソンノアシは火炎弾をぎりぎりかわしましたが、ニッネカムイは次々と火炎弾を放ってきました。火炎弾の1つがイソンノアシをかすめました。ジリジリという皮膚が焦げた匂いが彼の鼻をつきました。「脇腹を少しやられた」イソンノアシはすぐさまイ・シカラ・ペツに飛び込みました。イソンノアシは水に潜りながらニッネカムイを倒す方策を考えていた。それは、クの引き方を習い始めた頃、エカシから教わった言い伝えがあった。「魔神ニッネカムイの弱点は目だ。倒すなら目を狙え」
 イソンノアシは水に潜りながら、ニッネカムイの背後に回った。水中でクのつるをいっぱいに張って、アイを装填し、一気に水から飛び出し、大きく叫んだ。「ニッネカムイよ、こっちだ!」ニッネカムイが振り向きざまにいっぱいに張っていたアイをニッネカムイの目に向けて放った。アイはニッネカムイの鋭く赤く光った右目に命中した。「グワーッ!」ニッネカムイが叫び声を上げて後ろに倒れました。イソンノアシはニッネカムイに近づいて止めを刺そうとしたところ、ニッネカムイの左目がぎょろりと見開き、立ち上がった。そしてもう一度「グワーッ!」と叫ぶと、ニッネカムイの体が2倍に大きくなり、イソンノアシに向けて、数えきれないほどの火炎弾を浴びせかけてきたのでした。
 レイラはドキドキしていました。チェップの様子を見てくると言って出ていったイソンノアシがいつまでも帰ってきません。「きっと魔神のニッネカムイと戦っているかもしれない。一人で戦うなんて無理よ!」レイラはコタンの人たちに気が付かれないように、そっとコタンを抜け出して、イ・シカラ・ペツの下流を目指しました。

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