小説

『仏斬り』N(『恩讐の彼方に』)

 微笑み合って朝日を見た記憶が皮肉に思えた。二人で手を取り合って逃げ出したあと、静は半年足らずで病を得て宿の部屋で世を去った。
 一九郎は逃げる意味を失った。一人うつろな旅を続けているだけだった。どこかで死のうかと思ったが、出来なかった。
 三郎右衛門の息子はまだ生まれて間もなかったから、すぐに仇討ちに追ってくることはないだろう。もしかすると、親戚筋のものが代理になるかもしれないし、藩の執政とうまくやっていた三郎右衛門のためであるから、藩から一九郎の討っ手が差し向けられるかも知れなかった。一九郎は静を失い、一人に成って初めて、追っ手に捕まり斬られることを恐怖した。一九郎にとって一番都合のよい考えは、三郎右衛門の息子がまだ赤子であることを理由に仇討ちもその他の討っ手も見送られ、家督だけ息子宗十郎に受け継がれて、表面的に丸く収まってしまうことだった。一九郎は、もうそういう奇跡的な幸運しか考えつかなかった。「まだ刀は。売ればいくらかの金になるし、……これを使って金になる何かをすることも出来る……」つまり、一九郎は、これ以上無いと切羽詰まったときは刀を見せて強盗さえする気だった。だがそれも、町人などなら刀を見せれば恐れをなして、ほいほいと金を置いて逃げ出すだろうという甘い考えの上に成り立っていた。
 だが、一九郎は三郎右衛門を斬ったときも偶然にそうなったのであって、薄く腹を突く程度のつもりだった。そうであればこんなに強い良心の呵責を追うことはなかったし、何より三郎右衛門が死んでしまうことで自分の地獄落ちを覚悟することもなかったのだ。

 一九郎は、あてどなく、ただ追っ手から逃れたいがために放浪していたある日、寺の境内の隅で休んでいると、住職に見つけられた。それだけでなく、「なにかから、誰かから、逃れて旅をなさっておられるのか」と、何もかも見透かされたようにいきなりそう言われて腰を抜かした。あとで考えれば、薄汚れたなりの武士がおどおどと人目を避けているのを見れば、容易に想像がつきそうなことではあった。だがその時の一九郎には、その住職の目が、恐ろしいほどよくものが見える力のあるものに感じ、話しているうちに打ち解けて、自分の今の状況を全て話してしまった。その上でその住職に、
「しばらくこの寺で落ち着かれたらどうか」と誘われた。
 一九郎は住職に言われるがまま、寺に落ち着き、何でもした。刀が邪魔になり、置いて生活するようになった。そうしてしばらくすると、もう、ただの村人のようでもあったが、だがそれは一九郎が思っているだけであったようだ。ある日また住職に呼ばれた。
「あなたは、寺の者の様でもそうではない。百姓かと言えば、そうではない。かといってまだお武家かというと、刀を差すのをやめてしまっておられる。……そろそろ、何か一つに踏ん切りをつけられるのがよろしいかと思うが」そう、住職に引導を渡された。
出家して贖罪に身を捧げるわけでなく、武士として死ぬ覚悟もない。危険が無いのをいいことに周りの人に甘えて暮らしているだけである。幼少時「武士とは……」などと教えられたことを思い出しても、白々しく思えた。生きながらえるため逃げ回る自分が浅ましく感じられた。

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