家に帰りたいと願って保健室へ行ったら本当に熱があって早退した。翌日休むともう学校へ行ける気がしなくて、そのままずるずると休み続けた。
愛都とは玉手箱のIDを交換する仲ではなかったから、他の女の子たちから聞き出したに違いない。唐突にきた彼女からのメッセージは一度も開けず、かといって削除もできず、心の中で引っかかったまま4月が終わっていった。
5月になって、学校の特別室へ登校をすることになった。母は無理をする必要はないと言ってくれたけれど、私自身引きこもり生活に引け目を感じていたので担任の提案を受け入れたのだ。
特別室は保健室の続き部屋にあった。保健室へ入って右側のベッドが並ぶスペースの奥に和室があって、先生が許可した子だけがそこへ入ることができた。
襖を開けると見慣れない男の子が本を読んでいた。私に気付き軽く会釈したので、同じように頭を下げる。
「2年の浦です」と名乗ると「3年の月野です」と返ってくる。
月野さんも何か事情があってここにいるのだろうか。気になったけど、初対面でそんなことが聞けるわけなくて「よろしくお願いします」と挨拶した。久しぶりに家族以外の人と接することができて新鮮な気持ちだった。
月野さんはとても不思議な人だ。一緒に過ごしてみると友達とのいざこざもうまくすり抜けるタイプに見えたし、頭だって悪くなさそうだったのにどうしてここへとどまるのだろう。
最も変わっているのは、日々、何人もの教師が彼を訪ねてくることである。どうやら教室へ戻る条件に「僕の心を動かすものを持ってきてくれたら」となんとも漠然とした難しい要求をしたらしかった。
例えばある日、月野さんの担任が1冊の小説をもって訪れた。
「佳久耶(かぐや)くん、これを読んでみてはどうかな」
後でタイトルを見せてもらうと、数年前に流行った青春物のベストセラーだった。月野さんは既読だったようで一切手を付けず、「読む?」と私に貸してくれた。
そして、翌日再び担任がやってくると
「残念ながら、僕の心は動きませんでした」
と言って扉を閉めてしまうのだ。向こうもすっかり慣れていて「また来るね」とすんなり立ち去ってしまう。
彼の教科担任や学年主任が訪ねてくる日もあった。数学の先生が訪れた時は、DVDと小さな再生機を持ってきて「絶対泣けるから!」と熱く押し付けていった。
2人で肩を並べて鑑賞すると愛犬が飼い主を救うお話だった。
「いい話ですね」と感想を口にすると「悪くないね」と言っていたのに、再び数学の先生が訪れると「僕の心は動きませんでした」と言ってまた扉を閉めてしまう。
くる日もくる日も月野さんを訪ねて教師がやってくる。本、映画、写真集、詩集、お花…いろいろなものを置いていくけれど、月野さんが首を縦に振る日はなかった。