小説

『夢十六夜』夏藤涼太(『夢十夜』『第一夜』)

「昔さ、ここの海岸線を奈美とずっと歩いた時のこと……覚えてる?」
「うん。十六日間歩き続けると、海岸線の終わりにたどり着けるってやつでしょ?」
「そう! 十六夜の日に願いが叶う伝説!」
「懐かしい。あの時は……結局どうなったんだっけ? いや、もちろん十六日間も歩き続けられるわけないんだけどさ」
 そうだ。「凪とずっと一緒にいられるように」って願いを胸に秘めて、夜中に家を抜け出して、私は凪と海岸を歩いた。幼いながらにバカげた伝説だと思っていた。だけど夜中に凪と一緒にいられるのが嬉しくて、冒険気分でワクワクしたのを覚えている。
 ただ、行きの胸の高鳴りは今でも思い出せるのに、帰り道となるとイマイチ思い出せないのはどうしてだろう。
「もう一回、行ってみない?」
 こっちを見ながら凪が訊いた。
「今日はちょうど新月なんだ。僕達も大人になった。今なら、本当に十六日間歩き続けられるかもしれない。無限の終わりを、見られるかもしれない」
「アハハ。何言ってるの」
「僕は本気だよ」
 海のように澄んだ瞳で、凪は言った。いつの間にか、波の音がやんでいた。
 だって、十六日間もここにいたら会社だって休むことになっちゃうし……なんて、なにバカなことを考えてるんだ。そんなこと、できるわけがない。それは凪だってわかってる。その上で、誘ってるんだ。
 あの日に戻りたい……無邪気で無知で、何も考えなくてよかったあの頃に。会社で働くようになってから、無性にそう思うようになった。凪もきっと、同じ気持ちなのだろう。
 これは、小さな冒険という名の現実逃避だ。
「わかった。じゃあ、スーパーで食べ物とか買い込んでやろっ」
「いいね。やるからには本気でやらないと面白くないからね!」
 少年のような白い歯を見せて、凪は笑った。

 日が落ちた。飲み物や夜食をリュックに詰めて、私達は砂浜に足を踏み入れた。
 新月の夜。冷たくて暗い海。見ているだけで飲み込まれそうだ。
 波が砕けてしぶきが上がり、砂をさらう音が耳に鮮明に聞こえるほど、静かな夜だった。星一つない無明の世界。あるのは細かい砂を踏みしめる、二人の乾いた足音だけ。
 それから私達は、海岸線に沿ってひたすら砂浜を歩いた。疲れたら堤防で休んで、コンビニのおにぎりを食べた。そしてまた、歩き始める。
 なんだか心が妙に浮き足立って、全く眠気が起こらない。今が何時なのかもわからない。眠る時間や明日の予定を何も考えずに、身体に行動を任せることが、こんなにも気持ちいいなんて。

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