小説

『リベンジするほどパッションはない』もりまりこ(『ブレーメンの音楽隊』)

 隣のマンションもコンビニも、小学校の運動場も教会も病院さえも、レゴの中のモチーフみたいに、マットな感じで薄っぺらかった。
 栞がマンションから一歩も出られないうちに、街の景色は色褪せるというかプラスティックの模型のように見えた。人々も歩いていたけれど、それはどことなくフィギュアのような形があるいているみたいだった。そしてぎこちないけれど、音を奏でているような気がした。
<みおはここでしんだんでしたね>
 ふじみの口元が尖ってあたらしい口笛が鳴った。
 その口笛の音程が今までと違って、地を這うようなリズムを伴っていたので栞は後ずさった。
<リベンジしにきたんじゃありませんから。そんなぱっしょんはないな>
 さっきと音程が変調した。
パッション? ですか。憎むのもある種の情熱ですね。って知ったような返事をしてみた。
<みおは、すきなひとにころされたって。しんでしまうまえのことば、生きてるさいごの言葉ってそれだったんです。ぼくのうでのなかで。すきなひとがいたこと知らなくて。とても幸せそうで、その顔みてたらなんかみおののどをしめてしまいたくなりましたそうしていたらしぜんに口角あげたまま、みおはしんでゆきました。しあわせって、ほんとうはああいう顔なんだって気づきましたよ>
 栞は息を継ぎたい気分になっていたら彼も息を継ぎたかったのか、栞を見た。えっ? って視線で応えたら<ゆっくりがいいですか? ぼくのくちぶえ>って口笛が鳴った。
 なんとかついていってますって笑ったら、にこりともせずにふじみは口笛で<しっとでしょうか。そういうことわからなくて。みおをちゃんところしたくなったら、ぼくはことばをなくして。それからくちぶえおとこになりました>
 真顔でふじみは奏でていたけれど。
 くちぶえおとこっていうところが、栞のツボにはまってしまって笑いたくなったのを、我慢していたらふじみが気が付いた。
<わらうところでわらってください>
 黙っていたら、もういちどキッチンから八雲のマグが他の陶器の器に触れて、こすれあう音を立てていた。

 ふじみが引き出されたプラスティックの箱のなかに、澪の匂いのするものたちが入っていた。ふじみの指が、澪の所有物を搔き分けながら、探し物に辿り着こうとしていた。
 ケースの隅っこにはちいさな壜に入れたチューリップの球根が緑色の網を破って少し芽を出していた。これは、断れなかった新聞屋さんが<ありがとうございます、新聞とってくださって>の代わりにポストに球根をそっと入れて置いてくれるものだった。

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