小説

『忘れない人』渡辺リン(『忘れえぬ人々』)

「お待たせしました! エッグベネディクトと! 春野菜のプレートです」
「ああすいません」
「ごゆっくりどうぞ~」

「おおこれか…。フォークでつつくと中の黄身がとろーり…おおお、この感覚
なんだ! ん、ん… おいしい…し、しまった! 写真撮り忘れた!」
 と、案外早くに鍋島のセットも運ばれてきた。
「お待たせしました~! エッグベネディクトと! 春野菜のプレートです」
「ああすいません。ふう…。さて、まずは写真を撮ろうかな…」
 古賀の様子に気づいているのかいないのか悠然と完成品の写真を撮り、もちろん黄身がとろーりをも被写体にするのを忘れない画家の鍋島。しかし、さすがに隣人のダメ押しのため息に気づいたようだ。
「あ、もしよかったら、今からなんですけど、撮ります?」
「いいんですか? とろーりを撮りそびれちゃったんですよ。助かります」
「そういうこと、ありますよ」
「まったく今日はこのために来たのに…でもよかった」
「いきますよ?」
「はい」
 ふたりは同時に目的を達成した。
「では心置きなくいただきますか」
「はい」
 お互いそろって、思ったほどの味でもないと思った頃である。先に口を開いたのは小説家の古賀だった。
「あの…」
「はい」
「さっきからずっと気になってたんですけど、その、袋に入ってる…画材ですよね? それって名前なんていうんでしたっけ」
「キャンバスですか」
「じゃなくてそれを立てる三脚みたいなやつのことを。もう15分ぐらいずっと考えてたんですけどぜんっぜん出てこなくて」
「イーゼルですか」
「それです! イーゼルだ!」
「そういうのありますよね」
「すっきりしました。ありがとうございました。もうもやもやしちゃって」
「こっちこそすいません。もやもやさせちゃって」
「とんでもないです。こっちこそ色々すいません」
「いいえこっちこそ」

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