小説

『バーテンさん、話を聞いてください。』真銅ひろし(『安珍・清姫伝説』)

 苦笑しワインに口を付ける。話を聞いてもらって少しだけ張り詰めたものが緩んだ。自分は47のいい大人だ。少しくらいの火遊びは甲斐性の内だと思っていたが、まさか家にまで来てしまうなんて想像も出来なかった。まるでドラマみたいだ。
 美貴は会社の部下だ。たぶん今年で25くらいにはなるんだと思う。特別に美人と言う訳でもないけれど、色気がある女性だった。仕事もそつなくこなすし、物腰も柔らかい。そんな彼女に誘われたのは会社の飲み会の時だった。隣に座ってきた彼女は始めは普通だった。しかし時間が経つにつれ、少しづつ体を密着させて来て「課長の事好きなんですけど~。」と冗談っぽく顔を赤くさせながら言ってきた。「結婚してるんだけど。」と言うと、「ええ~つまんな~い。」と口を尖らせ、さらに体をくっつけて来た。会社の連中はその光景を喜ぶように「不倫だ」「浮気だ」などと彼女と私をはやし立てた。そして帰る時には酔っ払った彼女の介抱する役目を押し付けられ、そこからは流れでホテルに行ってしまった・・・。
「本当にその一回きりですか?」
「そう。でも言い訳するけど、ちゃんと確認はしてるんだよ。『分かってるよね。俺は結婚してるからこれ以上の関係にはなれないからね。』って。」
「・・・。」
「逃げの口実みたいに聞こえるかもしれないけど、お互い大人でしょ。そこは割り切って欲しかったんだよな。」
「そんなに言い寄って来てるんですか?」
「関係持ったのが、大体一か月くらい前。それから頻繁にメールがくるし、電話も来る。」
「・・・大変ですね。」
 別の席から「すみませーん」と呼ぶ声。奥のテーブル席のカップルが軽く手を上げている。「ちょっとすみません」と言って、吉木君はその場を離れた。一人になりメールを見直す。一体なんでこんなめんどくさい事になってしまったのか。もちろん今の家族を捨てるつもりもないし、美貴と関係を続けるつもりもない。それも美貴も分かっているものだと思っていた。あの子は自分をどうしようとしているのか?妻と別れさせようとしているのだろうか?今日みたいにまた家に来られたらたまったものではない。
 そんな事を考えていたらスマホが震えた。
「・・・。」
 画面を見てギョッとした。今度はメールの受信ではない、電話の着信だ。画面には『佐渡美貴』と表示されている。
「嘘だろ。」
 思わず声が漏れる。時間を確認すると1:30。こんな時間に電話がかかってくるなんて初めてだ。とっさに吉木君に目を向けるがこちらに気がつかずに何やらカチャカチャとシェイカーを振っている。
「・・・。」
 じっと見る。全然こちらを見る気配がない。かっこつけてシェイカーを振っている場合ではない。こっちは一大事なのだ。
「・・・。」
外に出た方がいいと思い、椅子から立ち上がった所で着信が切れた。ホッと胸をなでおろし、椅子に座り直してそっとスマホをカウンターの上に置く。そして腕を組みスマホを眺める。
「すみません。」
 と、吉木君が戻って来た。

1 2 3 4 5