小説

『バーテンさん、話を聞いてください。』真銅ひろし(『安珍・清姫伝説』)

 夜の12時を回ったバーは客が少なく静かだ。カウンターには自分1人、奥のテーブル席に1組の若いカップルが並んで座っているのみ。
カウンターの上に置いたスマホが震える。
「・・・。」
メールを受信した。私はゆっくりとスマホを手にしてメールを確認する。
「・・・。」
 予想していた差出人と大体予想していた内容に、一呼吸つき、ゆっくり目を閉じて片手で顔を覆った。
「安藤さん、大丈夫ですか?」
 バーテンの吉木君が声をかけてくる。
「大丈夫に見える?」
「いえ・・・。」
「やばいよ、どうしよう。」
 もし自分が子供だったら今すぐ泣き出したい気分だ。
「どうしたんですか?」
「・・・聞いてくれる?」
「僕で良ければ・・・。」
 吉木君は静かに頷く。私はたぶん話を聞いて欲しくてこんな夜中にフラフラと近所にあるこのバーに来たのだ。
「このメール見て。」
 自分に向いているスマホ画面を反転させる。
「いいんですか?」
「いいよ。」
『今日はとても楽しかったです。突然お邪魔してしまってすみません。とても仲の良いご夫婦で羨ましいです。課長の奥さん、とても羨ましいなぁ。でも私も奥さんに負けず課長の事大好きです。美貴』
 吉木君はスマホの画面をこちらに戻す。
「詳しくは分かりませんが、恐ろしい文面ですね。」
「・・・今日家に帰ったら玄関に靴が置いてあるの。もしかしたらって予感は少ししたけど、見事に的中したね。姿を見た時、本気で心臓が一瞬止まったよ。普通、勝手に家には来ないでしょ。」
「奥さんはこの美貴さんを知ってるんですか?」
「一度会社の人間何人かで家に連れて行った事があるから、顔は覚えてたね。」
「今回は一人で来たんですか?」
「みたい。」
「何しに?」
「俺が会社に書類を忘れてたらしくてさ、それを届けに。でもそんなのわざわざ届けるような書類じゃないんだ。」
「恐ろしいですね・・・。」
「二人とも和やかに世間話をしてたんだけど、妻は完全に怪しんでたね。俺を見る時目が笑ってないの。」
「実際に関係を持ったんですか?」
「・・・まぁ一回だけね。」
「女の勘ってやつですね。」

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