小説

『マスク売りのおっさん』室市雅則(『マッチ売りの少女』)

 人が通りかかっても大抵、マスクしているからいまいち表情が読めないんだよな。あら、そう言えば、マスクを売っているのに、俺自身がマスクをしていないじゃないか。そりゃ、信頼性に欠けるね。紺屋の白袴つーか、医者の不養生つーか、あとなんだ。
 ま、とにかく一箱開けるか。
 開けたら売り物にはならなくて、五百円を俺が支払わなくてはならないが、このままマスクが大量に残って、俺自身にも徒労感が残って最悪なクリスマスイブになるよりも、五百円を投資して、売れる可能性を上げる方が良いはずだ。
 はい、じゃあ、五百円を財布から取り出して、はい、えっと、売り上げを入れる袋に入れます。はい、入れました。これで一箱は俺のものです。どうやって使おうが俺の自由です。早速、マスクを着けます。
 あ、あったけえ。薄い生地をたった一枚、口や鼻を覆っただけなのにすげえ。案外、このマスク上等なのかも。これで五百円はお買い得だよ。この温もりを世間の皆様にも知って欲しい。
「メリークリスマスク! マスク売ってまーす! クリスマスプレゼントにマスクいかがですかー! 薄いのに温かい! 今、私が着けています!」
「うるせー!」
「あ、すみません」
 若者、怖っ。なんだよ。街灯の下に集まってないで早くどっか行けよ。蛾かよ。
「よ、久しぶり」
「あ、どうも」
 誰だよ。この胡麻塩みたいに小ちゃくて、小汚いおっちゃんは。
「競馬で勝ってよぉ」
 冷やかしか。それにしても、絵に描いたようなセカンドバック持ってるなぁ。え、ちょっと待って。何、それ。中には百万円の束が二つで二百万円? そう見ると、色々と余裕のありそうな。 
「ちょっと一杯行かねえか?」
 ナナナナナナ、ナンパ。勘弁してよ。そっちの気はない。あっても、このおっちゃんは無理。
「え、あっと、今仕事中でして」
「仕事ってマスク売り?」
「はい」
「俺が全部買ったら、仕事終わる?」
 神!
 違う!
 無理!
「いや、会社に報告とかあって。それに今日、彼女と約束してるんですよね」
「そっか、じゃあな」
「どうも」
 おい、そのまま帰るな! 一個くらい買え! 買ってくれたら軽いキスくらいなら……。ちくしょう。

 冷え込んできたな。
 胡麻塩おっちゃん以降、やっと通った人は、誰も足すら止めてくれない。そうだよね。クリスマスイブだもんね。
 若者、どこか行ったな。一安心。

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