小説

『カルテット』千田義行(『ブレーメンの音楽隊』)

 だが、彼やその他の無数にいるそういった人々の多様な事情を言い表すのに、その言葉はあまりに簡潔にすぎるだろう。
 彼は学生時代、クラスの、いや学年全体のムードメーカーだった。彼がいるところには人の輪ができ、笑いや歓声が起き、そこからいくつもの物語が生まれた。そう、彼はちょうど、コンサートマスターのような存在だった。
 彼が紡ぐ人生が変調を見せたのは、就職をしてからのことだ。
 彼は誰しもが知っている広告代理店に就職をした。皆、彼を羨んだが妬むものなどいなかった。仕事は非常に順調で、彼の人生はいよいよ充実の時を迎えるようだった。
 ある大きなプロジェクトがあり、若くして彼はそのチームに抜擢された。沖縄で行われる国際的なイベントの企画と運営が主なものだった。彼はそこで人生を変えてしまう出会いをした。
 出会いにもいろいろなものがある。彼は幸か不幸か、それまで自分に向けられた純粋な悪意には出会ったことがなかった。
 端的に言うと、彼は精神を壊してしまった。クライアントから沖縄市長まで参加する会議の席で、彼はプレゼンテーション中に嘔吐をし、失禁をしたそうだ。その後、半年の休職を経て、一度も出社することなく退職した。例のイベントは、無事に済んだ。一年先輩で彼の指導係としてプロジェクトに参加した男性社員が、功労者として表彰されたそうだ。彼は辞意を告げるときも、一度としてその先輩社員の名を挙げることはなかった。
 私が彼の話を、こう詳らかに知っているのは、彼のお母様から聞いたからだ。彼は今もこの話を家族以外にはしていない。私は彼の学生時代からの縁もあり、家も極めて近所であるよしみから、事件後から時々彼を見舞った。会ってくれるときもあれば、会える状況でないときもあった。
「鶏が鳴くと目が覚めるんです」
 と彼は言った。
「健康的じゃないか」
 と私は言った。
「でも、最近その鶏が鳴かないんです」
 と彼は心配そうに言った。
「それは、心配だな」
 と私は言った。
 この近所に、鶏はいない。

 彼からもらった『参加します』のたった一言の手紙を携え、貸しスタジオのドアを開けると、もう4人が揃っていた。「先生!」という彼らの声が、明るく伸びやかな響きなのを聞いて、思わずこみ上げるものがあった。しかしメランコリーに浸るわけにはいかないので、「もう、先生ではないよ」とようやく微笑を作った。
 彼らは、私の高校教師時代、4人しかいなかった管弦楽部の、その教え子たちだ。私は、4人しかいないのならカルテットを結成してはどうかと提案をした。彼らは瞳を輝かせて頷いた。たった1年ばかりのとても楽しい活動だった。去年、教師の職は辞した。妻が立てなくなり、介護が必要になったからだ。今日は、私にとっても久しぶりの外出だった。
「でさー、センセ、なに演んの?」

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