小説

『世の中から時計が消えた夜』もりまりこ(『シンデレラ』)

「どうって? どうなんだろうね。世の中の時計がさ、ないんだろう時間もくそもないやね」
 わたしは、林田さんが時々迂闊にかつ今時いう? みたいなその言葉にそういうところコロナ以前もコロナ以降も変わってないなって思ってちいさく笑った。
 わたしもなんとはなしに、その人に喋りかけたくなった。
「午前零時になんかあるんですか?」
 わたしの質問がよくなかったのか、社交下手なのか女子嫌いなのかその人は、わたしの眼をみないまま。ちょっとまぁって、答えたくなさそうね小さな声で呟いた。
「えぇ。午前零時がいつなのか知りたいだけなんです」
 問いかけなければよかったじゃん。
 だから、人とひととの関わり? みたいなの面倒なんだなって凹んだ。

 店を出て、またマンションに帰ろうとした時。
 わたしは何処かで、鍵を落としたことに気づいた。部屋に入れないって思って、うろたえた。
 なんか、街がロックダウンされたみたいに誰もいなくて。
 もしかしたらあの時よりも、街が静かだ。
 車もほとんどなくて。もう一度林田さんの店に戻ろうと思ったら、もうシャッターが閉まっていた。
 シャッター叩いてまで林田さんにすがるほど仲良くはないので、どうする? って思っていたら、渡りに船ってこういうことかと。
 好ましい船かどうかはあやしいけれど。
 さっきの男の人がわたしの眼の前を歩いていた。
 イヤフォンで耳をふさいだまま。
 気まずいなって思ったけれど、さっき知った人だったから、困っているこの状況下では、すこしだけ懐かしかった。

 どうしたの?
 ってなんか急にため口で聞いてきた。
 カギ落としました。って正直に言った。そうですか? それは困ったことになりましたねって、なんか悠長にさっきと打って変わってその人は話に乗ってくれた。

 彼の眼の先にはパンプキンパークってよばれている、カボチャ型の屋根付きのベンチのある公園があった。
 あそこで一休みしていく?って彼が言った。
 その人は、ダウンロードしてあるらしい、「ブエノスアイレス午前零時」っていう曲を聞いていた。
 よっぽど、午前零時好きなんだって思っていたら。

 わたしの足元のサンダルを見て、ちょっと微笑んだ。
 2Eの23.5ぐらい?
って。
 マジか。わたしの靴のサイズを当てようとしていた。
 キモイことしてしまいましたって、靴屋だったもんでって、その人は笑ったけれど。わたしはこんな世の中の秒針が消えた日なんだから、そんなに気にならなかった。

 耳をふさいだまま隣にいる、その人をなにげなく見る。
 聞いているうちに眠ってしまったらしい。
 喉仏は眠っている間も錨のように上下していた。

 わたしは手持ち無沙汰で、じぶんの足元のサンダルを見ていた。
 緑色のペディキュアが、中途半端にはげていた。
 当たってるって言ったけれど、それは大ウソだった。もう少し大きかった。

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