小説

『世の中から時計が消えた夜』もりまりこ(『シンデレラ』)

 わたしはあたりを見渡す。
 さっきから誰一人ここを通らない。
 寂れすぎていて、明日になったらここないんじゃないかっていうぐらいのそんな風情だ
った。
 彼は隣で苦しそうに眉間に皺をよせて眠っているはずなのに口元は笑っていた。
スーツ姿にサンダルで。
 ほんとうは死にたくなったのかなって思った。
 なぜかそう思った。もしこの人が死のうとしているなら、こんなふうに秒針が消えた日にこの人を救えるのかみたいな問いが、わたしの中に芽生えてきて。
 だいぶわたしも各種各様やばいねって感じだった。
 そっと彼の耳のイヤフォンをひとつだけ外して、じぶんの耳に入れてみた。
 なんかかっこよいタンゴだった。
 耳からイヤフォンを外したことに気づいたみたいにその人は起きた。
 今何時? ってわたしの瞳をのぞき込みながらいうので。
 もうさっきのことを忘れてるのかって思っていたら、ふいに記憶を取り戻したみたいにあぁそうだったねって、俺も焼きが回ってんなって一人笑いしていた。

 聞いてていいよそれ。好き?
 好き? ってタンゴのこの曲だってことはわかったけれど。少しどぎまぎしているじぶんが情けなかった。
 眠っていてほしい。どうぞ来るかどうかもわからない午前零時まで眠っていて。そんな気分でタンゴに耳を傾けていたら、眠ったままその人は話しだした。というか問いかけられた。

 小さなとき、コロボックル信じてた? 
 わたしが返事しないでいると、気ままに彼は話しだす。
 え? この人のリズムがつかめない。コロボックルってあのちいさな人たちだよね。
 何も返事しないでいたら、その人はおもむろに語り出す。

 庭のすみにはさ、コロボックルが絶対住んでるって思ってて。真夜中探しに行ったりしたことあったよ。 
 笑っていいのかなんなのかわからなかった。

「信じてたの?」ってわたしが問いかけると彼は言った。
「信じなくてどうするの」って言った後、喉の奥がつまったみたいな咳をした。
「信じなくてどうるすの」って度肝を抜かれるよな、そう言ってみたいよなって彼がいう。
 信じたいとかじゃなくてさ、信じなくてどうるすの? とかって言ってみたいってリフレインした。

 わたしは、瞬間すてきだなって思っていた。すてきだって。すてきって死語だ。すべての言葉が死語になる運命を背負っているのは知っているけれど。それでも思う、すてきだ、この人。
 僕が、午前零時を気にしているのはね。
 って聞きもしないけれど、聞いてみたかったことを答えようとしていた。

 じゃ、もうひとつ質問する。シンデレラって信じる?
 シンデレラってあのかぼちゃが馬車になってガラスの靴の?
 そう、ガラスの靴の。
 ふたりで同時に足元をみた。
 俺、すごい悩んで悩みぬいて歩いていた時、デパ地下の占い師に呼び止められたの。
 すっごく悩んでると必ずあの人たちは呼び止めるね。ほんとに、あの透視術はすごいと思うけどさ。その人にあんたシンデレラになるよって。この先シンデレラに。
 わたしは、この人やばいって。座りながら後ずさりそうになった。
引いたね、今。いいよ引くよねそりゃ。
 ちょっと、味方になってよみたいな怯えた目を一瞬したので、この先どうなるかわからないし家にも帰れないし、話に乗ることにした。
 シンデレラに、・・・なった?

 よくわかんねぇ。ルーツとかうるせぇ。ファミリーツリーなんてクソだねって、どっかの居酒屋でほざいていたんだよあの夜。俺育ちが悪いからさ、でもそうやってクダ撒いて、家に帰って鏡みてたらね、俺の知ってる俺じゃなくて。
 どういうこと?
 どうせなら、花岡廉とかのビジュアルがよかったんだけどね。
 花岡廉って、あの日本版の「ラ・ラ・ランド」の踊ってた人?
 だけど、こんなになってた。あのおばさんがさ、ほんとうに俺に魔法をいつの間にやらかけてたんだねって。願いを叶えてやろう可哀そうだからお前にはってて言うから、じゃ、花岡廉にしてよって言ったんだよ。そしたら、ぜんぜんにてねぇの。腕試しでもしてんのかな?

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