小説

『俺と彼女の最後の日』中村ゆい(『人魚姫』)

 物騒な単語に思わず自転車を止めると、海から頭をと尾ひれを出した数人の人魚が、うちの制服を着た女子に何か言っていた。
「どこに行っても、薬を飲ませて王女を泡にした魔女の一族でしょ」
「海から逃げたら楽になれると思った?」
「結婚どころか好きな人もいないくせに。すぐ泡になって死ぬだけじゃん」
「ま、うちらはあんたがいなくなってくれたほうが嬉しいけどぉ」
 なんとなく事情を理解した。人間界に残っている「人魚姫」という実話を元にした童話があるが、その話に出てくる悪役と何らかの血の繋がりがある子なのだろう。もう大昔の話なのに海では、もう終わったこと……にはなっていないようだ。肩身の狭い思いをしていたために、こっちに逃れてきたってところか。
 学校にも、意地悪な奴ってのは少なからずいる。海の世界でも同じなんだな、と思うとなんだか虚しくなる。
「おーい、遅刻すんぞー」
 助けるつもりで声をかけると、全員の視線がこちらに向けられる。意地悪されていた子以外は全員、逃げるように海の中へ姿を消した。
 残された女の子は、俺にぺこりと頭を下げて砂浜からアスファルトの道路に歩いて来た。
「……後ろ、乗ってく?」
 俺は荷台を指差す。方便でもなんでもなく、今からちんたら歩いていたら本当に遅刻すると思う。
 彼女はもう一度ぺこりと頭を下げた。荷台にまたがった彼女は予想以上に軽くて、女の子を乗せたことがない俺はこっそり動揺する。
 ペダルを漕ぎながら、俺は返事を期待せずに背後に話しかけた。
「俺、君のこと知ってるよ」
 腰に回された彼女の細い腕が、びくりと震える。
「佐藤のこと、たまに見に来てるだろ」
 遠くから眺めてるだけで、実際に佐藤本人に話しかけてるのは見たことないけど。
 さっき漏れ聞こえた話の通り、彼女は海でのつらいことから逃げるためにこっちに来たのかもしれない。だけど、好きな人もいないくせにっていうのは違うと思う。
「今日さあ、佐藤の部活終わんの、たぶん17時半くらいだよ」
 いつもよりも早く帰れるって喜んでたし、あいつ。もし会いたいなら、いつも通りの18時では佐藤には会えない。
 耳より情報を伝えると腰に回されていた腕の拘束は、少しきつくなった。

 彼女にとって最後の今日が、晴れていて良かったと思う。
 空が綺麗だと、それを反射する海も綺麗だ。夕焼けに染まった海面はまるで紅葉。
 結局、彼女と佐藤の仲はそれほど進展しなかった。俺と彼女は多少仲良くなったけど、それじゃあ何も意味がない。意味がないとわかっているのに、彼女はあえてそうしているようにも見えた。
 本当に、消えてしまいたいのかもしれない。だったら俺には止められないけれど。
 ステップを踏むような軽い足取りで砂浜を歩く彼女を数歩後ろから追いかける。

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