海底、の単語は浦島の耳にしっかり響きました。慌てて後ずさろうとする浦島でしたが、その足を亀が掴んで離しません。
「さあさあ行きましょう早く行きましょう早く行きましょう」
「待ってくれ、まさか海の底まで行く気かい?」
「ええ、ええ、そうですとも。海の底の竜宮城へ今すぐに」
亀は実に嬉しそうな声音で語りながら、浦島を海へ引きずり込みます。
「なあ、人間は海底になど行けないよ」
「心配なさらずとも、私が責任をもってお連れします」
浦島は亀に連れられ海の中へ。
「がぼっ、違うんだ、ごぼ、聞いてくれ、息が、いきが」
がぼ、ごぼ、がぼ。
ああ――。
人間は海へ潜る時やはり変な音を出すなあと、亀は思うのでした。
海の底。
竜宮城。
亀と乙姫は困っていました。
「この方が、私を助けてくださった人間なのですが」
「かわいそうに、息絶えているじゃあないか」
亀も、そして乙姫も、どうしてこうなってしまったのかと悩みます。
浦島の死体は、まるで息ができずに苦しんだような表情をしていましたが……。
息ができぬ筈はないのです。
すう、はあ。乙姫は深呼吸をしてみました。
ほら。
海底にはこんなにも、綺麗な水が満ちているというのに。
これだけ水があって、まさか呼吸のできぬ筈はない。海底に暮らす乙姫は、浦島太郎の死の理由が理解できませんでした。
「彼の遺体は弔っておくから、亀よ、地上へ戻って彼の家族を探しておいで。この不幸を伝えなくてはいけないだろう」
亀は、任せてくださいと頷いて、深い深い海の底から上へ上へと泳いでいきました。
乙姫は、手慣れた様子で、葬儀の準備を始めました。亀の恩人ですから、また今回も、丁寧に弔ってやらねばなりません。それにしても、人間の命のなんと儚いこと。
以前に亀が連れてきた人間も、その前も、その前も、その前も。
皆、竜宮城へ辿り着く前に死んでいた。
なんて悲しいことだろう。