浦島太郎が目撃したのは遥か下へ遠ざかっていく亀と自分の体でした。
すっと目の前を横切っていく魚の姿に、はっと浦島は我に返ります。ああそうだった。ここは海の中だった。深く暗い海の底へ向かって、亀はまっすぐに潜っていくのです。そうして見えなくなるのです。見えなくなった亀。
あの亀は確かに、自分の体を連れていた。
それでは、今ここにいる自分は一体誰であろうか。
自分の心に問いかけながら、本当はとうに理解していました。
あれを『体』と呼んだ時点で。
わかっていました。
自分が体を失ったこと。
魂だけの存在となっていること。
死んでいたのです。浦島太郎は溺死していたのです。亀は甲羅に浦島太郎の死体を乗せて、どんぶらこっこと海底へ。取り残された浦島の魂。
ああ死んでしまった。
理解して自覚して浦島は酷く息苦しくなるのです。いいえ、息苦しさを思い出すのです、甦って来るのです、あの苦しさ、空気の代わりに流れ込んでくる海水が喉を肺を支配して逃げ出そうにも亀にがっちりと足を掴まれ「くるしい」という言葉すら吐き出すこともできぬままただただ感じる絶望。
そうだ。
亀だ。
亀が悪いのだ。亀がおれを溺死させたのだ。
あの亀は浦島太郎が助けた亀でした。海岸で、子供達にいじめられていたところを、浦島太郎が助けたのでした。そのことに亀は感謝して、どうしてもお礼をしたいとせがむのです。当たり前のことをしただけだからと、浦島はしばらく遠慮していましたが、亀がどうしてもどうしても、と繰り返すので。
「わかった、ありがたく礼を受け取ろう。何をしてくれるのだい?」
「是非とも竜宮城へご招待したく思います」
竜宮城とは初めて聞く場所だが、名前からしてとても立派な城のようだ。ふさわしい着物を自分は持っていただろうか。「身なりを整えなければ」と話す浦島の足に亀のヒレが触れました。
「いえいえそんなことよりも私は早く貴方を海底にお連れしたいのです。親切な貴方を乙姫様に紹介せねばなりません!」