小説

『私、綺麗?』南葉一(『口裂け女』)

 口裂け女の仕事の第一段階は「わたし綺麗?」と声をかけ、「綺麗」と答えさせるところだ。綺麗と答えてもらわない限りは「これでも?」とマスクを取ることも、怖がらせることもできないので仕事にならない。マスクで顔の半分を覆った状態で綺麗と言ってもらわなくてはいけないので、これが意外と難しいのだ。そのために目を整形した同僚がいたが、それなら口を整形すればよかったのにとは口が裂けても言えなかった。
 幸いにも私は目鼻立ちだけは整っているので、マスクの上からでも綺麗だと思ってもらえることが多いため、こういうことであまり困ったことがなかった。
「わかった。私が担当してみるよ」

 時計は午後5時25分を指している。十二月はこの時間になると既に日も落ちていて、その子が塾帰りに一人になると聞いた住宅街の一本道はかなり暗くなっていた。顔が見えなくては仕事にならないと、街灯の近くでその子を待つことにした。
 やってきた男の子は、端正な顔つきだったが、それ以外は一見して普通の男の子にしか見えず、小学3、4年生といったところだろうか。本を読みながら歩いていた。暗くて字が読みづらいのだろう、顔を目一杯本に近づけている。私に気づく様子がなかったので、早速訪ねてみることにした。
「私、綺麗?」
 突然話しかけられた男の子は、最初は怪訝に思っている様子だったが、聞かれた言葉の意味を理解した後、本を閉じ、じーっとこちらを見てから冷静に答えた。
「髪が少し傷んでるね。髪は女の命、髪が綺麗じゃないと綺麗とは言えないってお母さんが言ってたよ」
 それだけ言うと再び本の世界に戻り、男の子は去ってしまった。
 なかなかはっきりとものを言うタイプの子だな。まさかお母さんの意見が聞けるとは思わなかった。結婚すると何かと母親の意見が絡んでくる面倒な家庭になりそうだな。
 ともあれ後輩の言うとおり、簡単には綺麗と言ってくれるような子じゃないことだけは分かった。

 男の子に綺麗と言わせるには、髪が綺麗じゃないといけないらしいと分かったので、使っていたリンスインシャンプーをオーガニックのシャンプーに変え、トリートメントとコンディショナーもきちんと使い分けることにした。美容院に行ってサロントリートメントもした。
 今まで髪の手入れなど気にしたことが無かったが、やってみると意外と面白いもので、他にも、ホットタオルや、ヘアオイル、マイナスイオンの出るドライヤーを買ったり、思いつく限りのことはやってみた。

 年が明けしばらくしてから、前と同じ街灯の下で男の子を待ってみる。
 努力の甲斐あってか、私の髪はツヤツヤして手触りもなめらかだった。無意識に髪を触ってしまう。この髪ならあの男の子も納得してくれるだろう。

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