「貴⽅は誰ですか?」
「オレはしがない道化師でさぁ。⾟そうな顔をしている⼈がいたら、笑かすのが仕事のお調
⼦者」
そう⾔うと道化師さんはどこからともなく⽟を五つ取り出す。「ほい」という掛け声と共にジャグリングを始めた。
「すごい……」
「その本も、投げてみていいですよ」
すぐに先ほどまで読んでいた私の本であることが分かった。少し気は進まなかったけど、思い切ってぽんっと投げてみる。道化師さんは⾒事それを加えてバランスを崩さずに、何事もなかったかのようにジャグリングを続ける。思わず私は拍⼿をしてしまった。またもう⼀度「ほい」と⾔うと道化師さんは投げていたものを⼿中に収めお辞儀をしてくる。私はまた
「すごい」と伝えた。
「笑ってくれましたね」
思わず私は頬を抑えた。別に笑うこと⾃体恥ずかしいことではないけど、指摘されてしまうといたたまれない。そんな私を⾒て道化師さんはクスッと笑うと私の本を返してくる。
「えっと……ありがとうございました」
「なーに、さっきも⾔った通りこれがオレの仕事でさぁ。よろしければ、もっと⾯⽩いものを⾒せて差し上げましょうか」
そう⾔って彼は⼿を差し出してくる。不穏な空気。⼿を取ってはいけないと『⼗六歳になる私』は囁いている。かたや、『まだ⼗五歳の私』は興味と興奮で⽬を輝かせていた。
⾏ってみたい。⾒てみたい。この⼿を取りたい。だめよ、信⽤できるの? 酷いことをされるかもよ。でも悪い⼈には⾒えないわ。仮⾯を被っているのかも。確かに怪しいわ。だって普通道化師が、こんなタイミングで、こんな場所で現れたりしないものね。そうよ、怪しい、怪しいの。信⽤してはいけないわ。
でも、私だって、この興奮に⾝を委ねたい。きっと、これが最後だから。
私はおもむろに差し出された⼿を取っていた。
「『まだ⼦供でいることのできる』お嬢さんに⼀時の夢をお届けしよう! 時間に煩い兎に消える猫、眠るネズミにヘビースモーカーの芋⾍、それからえーっとえーっと、まぁそんなとこ。⼀⽣忘れることのできないナンセンスな奴らの集う滑稽な国へご招待。あぁ、本は置いていきな。落としちゃったら⼤変だ」
そう⾔うと道化師さんは私の⼿を引いて⾛る。痛くはないけど強く。私も⾛った。こんなに全⼒で⾛るのは何年振りだろう。幼い頃に置いてきてしまった⼼がまた咲き始める。
「さぁお嬢さん。ここがオレらの国の⼊り⼝だ」