小説

『不思議の国の案内人』千崎真矢(『不思議の国のアリス』)

「え、この⽳が?」
「そうさ。オレが先に落ちるからお嬢さんもすぐにきな」
「あっ、待って!」と⾔っても道化師さんは待ってくれない。服が汚れてしまうと『⼤⼈の私』は⽌め出すけど、ここまできたのにやっぱりやめたは私が嫌だった。意を決して⽳に⾶び込む。
 ⼀つ忘れていたことがある。私、暗くて狭いところ苦⼿だったわ。ぐわんとどこまでも落ちていくような浮遊感。早く終われ早く終われと念じながら私はギュッと⽬を瞑って耐えていた。ズドンと尻餅をつく⾳とともに「うぎゃっ」という道化師さんの呻き声も聞こえてくる。パチリと⽬を開けると道化師さんが下敷きになっていた。
「ご、ごめんなさい!」
「いてて……⼤丈夫ですよ! 可愛いお嬢さんが汚れないよう⾝を挺して守るのも紳⼠の
務めでさぁ。ささ、こちらだこちら!」
 道化師さんはまた私の腕を引いて⾛る。周りにはたくさんの扉があった。形も⾊も様々な。たったそれだけのことなのにすごく⼼は踊っていた。
 道化師さんは⼀番奥にある扉を持っていた鍵で開ける。外には森が広がっていた。
「おやおや、あっちはなんだか騒がしいなぁ」
 確かにざわめき声が聞こえる。声のするほうに向かって私たちは歩いた。
「よぉよぉ⽩ウサギ! ⼀体全体どうしたんだい?」
「どうしたもこうしたもない! 巨⼈が現れて私の家を壊してしまったんだ!」
 そこにいたのはたくさんの動物たち。でもお喋りもして、⼈のように歩いていて、私は⽬を丸くさせた。⽬の前には⼤きな⽳が四つほど空いた家。悲しそうにしている兎さんがすごく可愛そうだった。
「そりゃあ気の毒だったな。じゃあオレたちは⾏くぜ」
「え⁉ それだけ⁉」
 道化師さんとこの兎さんはお友達同⼠だと思っていたのに、あまりにも対応が薄情で私はびっくりしてしまう。兎さんも兎さんで「あぁ」と素っ気なかった。
「今の⼈、お友達ではないの?」
「友達ぃ? さーあね、あいつがどう思ってるか次第じゃないですか? それよりも! オレたちにゃあ時間がありません! この国は広い! 早く動かなきゃお嬢さんを⽇暮れまでに返せねぇですよ」
 早歩きをしながら道化師さんはそんなことを⾔う。ここに来た⽬的を思い出して、私は考えることを⽌めた。⼦供でいられる最後の⼀⽇、精⼀杯『⼦供の私』として楽しもう。

 
 そのあと⾊んなものを⾒た。キセルを吹く⻘⾍に変なハトさん、体の⼤きさが変わるキノコを⾷べた時は驚いちゃった。どこからともなく現れたチェシャ猫と呼ばれる猫さんにも会った。帽⼦屋と三⽉ウサギと眠りネズミのお茶会ははちゃめちゃだったけど私が困っているときは道化師さんが助け⾈を出してくれたから楽しかった。ハートの⼥王のお城は⾒ることしかできなかったけど、道化師さんの話を聞く分に横暴そうな⼥王様に⾒つからなかっただけ良かったのかもしれない。ほんとに、この⼈の⼿を取ってよかった。⼦供でいれる最後の⽇に、この⼈と会えてよかったと私は⼼から思える。

 

1 2 3 4 5