子供の頃のコトハは、「だいだらぼっち」を「だーだ、だーだ」と呼んでお話をせがんだ。そして、「だーだ」はいつの間にかコトハの中に棲みつき、憧れの対象になっていた。コトハの部屋には、クレパスで描いた黒や赤やピンクの大入道の絵が壁中に貼られている。まさに、アイドルオタがオシメンのポスターを張りまくるのと同じで、これは立派な大入道オタだ。
祖父には申し訳ないが、こんな講演を聞くぐらいなら、だーださまの足跡が池になったという近所の公園で子供相手に語り部をしていたほうがよほど有意義だ。コトハは脇に手をやり、しっくりこないブラの位置を直しながら溜息をついた。
と、その時、左隣に座っている祖母がすっと背筋を伸ばした。
うん? と思いながら教壇に目をやると、祖父の隣にひとりの女性が立っていた。
「こちらは、長年にわたり研究室の助手として本研究を支えてくれた、高峰フジ子くんです」
そう祖父が紹介をすると、黒縁の眼鏡をかけた、すらっと背の高い女性が、ゆっくりと頭を下げた。地味なスーツの アラフォーといったところか。
「高峰くんは、各地に散らばる伝承の収集比較に多大なる功績を残し……」
コトハの隣で祖母が突然立ち上がった。
え、何? おばあちゃん、なんで立つの?
「ちょと、待ちなさい!」
祖母のひと声が会場にドスンと落ちた。
全員の目が一斉にこちらを見上げた。
「お母さま、どうなさって……」「おばあちゃん、何なの?」母とコトハが同時に声を上げた。
皆が息をのんでいるのがわかる。
「ああ、アサ江。来ていたのか」講師用のマイクを通して、祖父が祖母の名を口にした。
「ふん、何ですか、白々しい。こんな少ない人数の中で、気がつかないわけがないでしょう。とっくに気づいていたくせに」
誰かが、先生の奥さん? とささやく。
コトハが服の裾を引くのにもかまわずに、祖母は想像もつかないことを口にした。
「その人が、あなたの女なのね」
え? は? 女? 驚きと疑問に満ちた声があちこちから沸き上がった。祖母は皆の注目を浴び、満足そうに背筋を伸ばした。
「おい、アサ江、急に、な、何を言い出すんだ」
じいちゃん、マイクを外して! コトハはそう叫びたかった。祖父の慌てふためいたような声が、会場内に響いた。なんだか、事実を突きつけられて焦っているように聞こえてしまう。
「図星ね。昔っからあなたは、ごまかしが下手だから」
祖母が追い打ちをかける。
こういう時に必ず現れるお調子者が、質問者用のマイクを祖母に渡そうとした。
コトハはそれを押しとどめた。「いや結構です。私たち、もう帰りますから」
「いえ、決着がつくまで帰りませんよ」祖母は、マイクをわしづかみにすると、高らかに、そう宣言をした。
おおー、と会場が沸き立つ。