小説

『家を出る女』山崎ゆのひ(『チャタレイ夫人の恋人』)

「ふざけないでよ!」
私は拳で枕をたたいた。修一は慌ててベッドから離れると、
「明日早いんだ。今夜は下で寝るよ」
そそくさと寝室を出ていった。二世帯住宅の階下には、修一の両親が住んでいる。彼はいまだに義母の「僕ちゃん」なのだ。
私はベッドの下からワインの瓶を取り出してラッパ飲みした。10年間に3度。最初の浮気が発覚する前から夫婦の関係はなくなっていた。浮気が重なるにつれて私たちの関係は荒んでいった。並んだベッドは、まさに寝るためだけの家具だ。セックスレスの夫婦なんて今どき珍しくないと思っていた。それなのに、ほかの女とは当たり前のようにそういうことをする修一に、今更ながらに腹を立てる自分がいる。夫に振り向かれない女。私は自分の存在を全否定された気がした。

翌朝。
私は通りに人がいないのを確かめ、スーパーの袋を二つ下げて玄関を出た。袋には、ワインの空き瓶が何本も入っている。娘の美咲がアメリカの大学に留学してから、知らず知らずのうちに酒量が増えていった。一人で過ごす夜は長い。私が孤独にワインを空けている間に、修一はどこかの女と仲良くやっていたのだ。はらわたが煮えくり返った。
資源物集積所から取って返し玄関のドアを開けると、フローリングの床に義母が立っていた。驚く私に、義母は穏やかに言った。
「志保さん、おはよう。大丈夫? 夕べのこと、修一に聞いたわよ」
「お義母さん……」
「ごめんなさいね、あんな子で。それでも十分反省してるのよ。お願い、今度だけは許してやって」
「修一さんは、もう出たんですか」
「ええ、6時頃行ったわ」
「そうですか」
サンダルを脱ぎ、2階に続く階段に足を掛けた私に義母は言った。
「修一の相手ね、以前同じ部署にいた人ですって。すごく気さくな人で、よく一緒に飲みに行ってて、気が付いたらこうなってたって言ってたわ」
私は一気に階段を駆け上がった。

3日経った。修一はずっと階下で生活しているので、顔を合わせていない。気がつくとクローゼットからスーツやワイシャツが消え、修一がいちいち二階に上がらなくても生活できるようになっていた。私が外出している間に、彼に頼まれた義母が必要なものを階下に運んだのかもしれない。分かっている。修一が私を疎いながらも離婚しないのは、義母と世間体のためだ。

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