小説

『鬼男』高野由宇(『鬼娘(津軽民話)』)

 季節は移ろい、子供たちは青年と親しくなった。工場へ来ると青年のお婆さんからお菓子をもらったり、お爺さんから昔の遊びを教えてもらったりするようになった。少年は制服と自転車を犠牲にして転び方を覚えて、もう皮膚が切れるような傷は作らなくなった。
 でも、青年との距離は縮まらなかった。幾つかの形のぼやけた言葉とかみ合わない視線が、二人の間に蓄積されていくだけだった。
「お疲れ様です」
「――またお前かよ」
「迷惑ですか?」
「迷惑ってことじゃないけどさぁ、ていうか相変わらず制服汚ねえな」
「洗えるんで大丈夫です」
「――あっそ」
 氷の鳴る水筒を傾ける青年の咽喉が、蝉の声を消した。
 そんな夏、硝子工場では小学生向けの体験教室が開催された。青年が考えた企画で、すでに職人を引退したお爺さんとお婆さんと三人で、蜻蛉玉やビー玉といった簡単な物を作ったり、職人付添いでグラスや花瓶といったものも体験出来るという企画だった。しかし蓋を開けてみると予想以上の盛況で、三人ででは到底予約の数には対応出来なかった。アルバイトを雇おうという案もあったのだが、お爺さんとお婆さんの勧めもあって青年は少年を誘った。そこらのバイトに比べたら屁みたいなもんしか出せないけどボランティアのつもりでも良いんだったら是非手伝ってくれないかな。
 少年が断るわけがなかった。完全ボランティアで良いんで是非手伝わせて下さい。
 形だけでいいから、と言われて提出した履歴書を見て、青年は出会ってから三か月経って初めて少年の名前を知った。
「これ、りょう、でいいの?」
「あ、すいません、ふりがな振ってない」
 少年は慌てて付け足した。
「涼、です」
「涼ね、はーい」
「あの僕は、何て……」
「あー……、お客さんの前では、とりあえず先輩でいいんじゃない?」
 ここは譲らないぞという鋭い目に、遂に青年は屈した。
「……勝也(かつなり)、です」
「勝也、先輩――」
「いや、やっぱり先輩やめて、なんか、なんていうか、とりあえずやめて、勝也ってだけで、勝也さんで、お願いします」
 途端に夏休みが明るく広がった。少年は朝も早くに起き出すと跳ねるような足取りで硝子工場へ通った。予約対応の電話番や準備作業、写真撮影に安全管理に後片付けと一日はあっという間に過ぎていったが、青年と同じ空間で過ごせる十時間はまるで三十分だった。
 例えば子供と子供みたいに笑い合う目尻とか、頭を撫でた筋張った大きな手とか、思わず戸惑う距離の中で、例えばお婆さんを労わる真心も、邪魔だから休んでろという優しさも、抑えるつもりの感情を煽ってるんだとは知らないはずで、だから例えばふいに交わる目線が、真剣な停止が、どれだけ人を困らせてるかも知らないで、だから平気な顔して名前を呼んでくる。

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