小説

『フェイスケ』もりまりこ(『嘘』『久助君の話』新美南吉)

 それってほんとかなって思いも過ったけど。そんなことはどうでもよくて。ちゃんとファインダーを覗いていたお母さんの視線が、まるごとヘイスケにまっすぐだった。<うそからでたまこと>。ヘイスケが呟くので、え? 何?って聞き返した。母親がつけたタイトルだった。だって俺笑ってるでしょ。嘘笑いしてたらマジ、可笑しくなってさ。いつにもまして遠い目をして答えていた。そんなヘイスケが突然、苦しそうに息を吐き出すように言った。噂だけど、花山君が死んでしまったって。ヘイスケの目の中には久助が映っていて、久助は、何も答えられずにただ黙っていた。
 その噂は、次第にクラスに広まっていた。ただ、それは花山君が死んだことではなくてヘイスケのフェイクだよなっていう噂の方が拡散していた。
 蛍原が提案した一週間違う誰かになってみる計画は、2週目半を回っていたけれど。保護者からの総スカンをくらって即刻中止になった。
 久助がヘイスケになることは、もうなかったけれど。ただひとりヘイスケだけは、ずっと何故か花山圭太君を演じていた。
 それはまるで花山君を追悼しているかのような感じで。その姿はまさにそこに花山君がいるようだった。クラスのみんなもヘイスケのことをフェイスケっていつしか呼ばなくなっていた。
 所作は板についていて今は第二段階とでもいうような、朗読する時の息の継ぎ方や作文を書く時も、ぜんぜん要するにじゃないのに要するにって書いてしまう所までも似せていた。音楽の時間。合唱の時ひとり半音ずれる所もすべて。それはヘイスケのライフワークになるんじゃないかというぐらい。花山君の生真面目さまでをも演じていた。

 花山君が居なくなる前日の午後の体育館の裏で、久助はふたりをみかけた。ふたりは取っ組み合いをしていた。取っ組み合いのふりをしていたら、ほんとうに喧嘩になってしまったような雰囲気が漂っていた。花山君の腕がヘイスケの背中に回り込んでいて、ヘイスケの腕は花山君の首元に巻き付いていた。誰もそこにいなくて、止めに入るものはいなかったけれど。久助は何か見てはいけないものを見た気がしていた。息遣い荒く汗を掻いたふたりのおでこはてらてらと光っていた。腕を外す瞬間、ふたりは離れ難いかのようにぎゅっと抱きしめあった。久助はその時、花山君地獄に堕ちろ、そしてじぶんも。そう強く願った。花山君が学校を辞めてしまった時、久助は驚いた。歪んだ念が通じたのかと怖くなった。花山君が死んでしまったと噂を流したのは死にたくなっていた久助だった。自分は本多ヘイスケになるんだよね。嘘つきヘイスケを演じるんだよね。だからちゃんとフェイスケになったんだって。

 あの日から10年以上経った今。久助はしがないサラリーマンになっていた。
 その日、花山君の姿を見たのは電車内のデジタル広告の中だった。
<美味い居酒屋シリーズ突撃レポート>花山君は本当に芸人になっていた。久助は驚きつつも眩しく見つめながら、花山君が生きていてほんとうによかったと心の底から安堵した。ただ久助が再び視線を注いだ刹那愕然とした。あれは花山君ではない、紛れもないヘイスケだった。ヘイスケは花山君の後の人生までをも完コピしていたから。

1 2 3 4