小説

『カラダの温度が変わるとき』藤井あやめ(『白昼夢』)

 いつの間にか男性軍は〈ゼロ〉を取り囲み、至近距離で舐めるように見ている。
「うわ!皮膚なんてほぼ本物!」
 ついに〈ゼロ〉に接触する者まで現れた。
「〈ゼロは〉歌も歌えるんですよ。是非何かリクエストしてみてください。」
 ランポ社の男は、急かすように言った。
「え!じゃ、じゃあ…。オーキッド★ステップの『Daydream』!」
 それは、今世間で人気のあるアイドルグループの新曲だった。
 一同の視線は〈ゼロ〉口元に集中した。
 しばらくすると、やや自信の足りない歌声が聞こえてきた。〈ゼロ〉が震えながら歌っているのだ。音程もリズムもなんだかめちゃくちゃだったが、誰かの「すごい!」という賛辞で、全てが合格となった。
 歓声が響く室内で、雅子の中にモヤモヤとした感情が大きくなる。その感情が自分一人出はないと思いたいが為に皆の顔色伺ったが、全ての人が頷き満足そうな顔をしていた。
「ほら、私達も〈ゼロ〉を間近で見るチャンスよ!」
 四条が雅子の腕をとる。信じる者の瞳は曇りなく透き通り、目の前の最先端テクノロジーに心踊らせている。
 一同は笑い、隣の四条も笑っている。

 雅子は初めて室内が暑いと感じた。室温の問題ではない。雅子の体がこの現実を受け止めきれず発熱しているのだ。ランポ社の男に進められ、雅子は恐る恐る〈ゼロ〉を至近距離で見つめた。見れば見るほど、彼は立派な中年男性であった。これは現実なのだろうか、雅子の心中はかき乱されるばかりだった。
「あっ!」
 詰め寄る同僚に押され、雅子はもう少しで〈ゼロ〉にぶつかりそうになった。その時、近くで感じる〈ゼロ〉の体温と思われる生暖かな空気が頬を掠めた。その空気には、微かな生命の臭いが混ざっている。よく見れば、ジャージから出た手の平には無数の指紋が刻まれ、甲にはまばらに生えた体毛が浮き出た血管を守っている。鼻から酸素を取り込み、二酸化炭素を吐き出す作業は、生きている人間としか思えない光景だった。
雅子はますます背中から悪寒が広がるのを感じた。
「おっと、すみません!」
 雅子を押した同僚が、青い顔の雅子を引き戻す。
「大丈夫ですか?すみません、興奮しちゃって。」
 ハハッと無邪気に笑う同僚を、雅子は怖いと感じた。

「何体発注したらいいかしらねぇ。」
 背後では四条が誰かと話している。

 皆さん、騙されないで!これはロボットじゃない!血管だって見えるし息もしている!
〈ゼロ〉は生きているおじさんです!人間なんです!

 そう、雅子は叫びたかった。

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