小説

『道草おばあちゃん』香久山ゆみ(『赤ずきん』)

 そうして専業主婦になった私は、一体幸せだったのだろうか。
「ねえ、あなた。どうして休日出勤がこんなに多いの?」
「今は好景気で忙しいんだ。仕事をしていないお前にはどうせ言っても分からんだろう」
「どうしてこんな時期に出張なの?」
「会社がどうしてもと言うからだ。社員が口出しできることじゃない」
「どうして昨日東京にいたの? 田舎で同窓会だったんじゃないの」
「急に仕事が入ったんだよ。急ぎの商談で、大きな取引だったんだから仕方ないだろ。電話しなかったのは悪かったよ」
 ワイシャツに付いた紅い口紅についても、夫はけっして認めようとはしなかった。うちに帰ってくる日もどんどん減っていた。その間あなたはどこに泊まっていたのか。何度問い質しても「残業だ」などと繰り返すばかりだった。
「どうしてお義母さんのお世話をうちでみるの? うちの子も毎週病院に連れて行かないといけないのよ。実家暮らしのお義姉さんが手に負えないと投げ出すような状態なのに、私一人でお世話できると思うの?」
「大丈夫。認知症ってのも姉貴が言ってるだけだ。こないだお袋と電話したけど、普通に受け答えできてたよ。それに、何かあれば俺も手伝うし」
「どうして介護施設も検討しないの?」
「俺のお袋だぞ。親の面倒は家族が見るのが当然だろ。俺は長男なんだから。それに、お前は専業主婦で一日家にいるのになんで親の介護くらいできないんだ」
 日々の中疑問は次から次から沸いて出た。家でも、外でも。
「どうして私がPTAに選ばれたのでしょうか?」
「あなたが専業主婦でいらっしゃるから。時間が自由に使えるでしょう」
「どうして私がその水を買わなければならないんでしょうか?」
「何が疑問なのか分からないわ。このお水を飲むだけで家族が健康になるのよ。幸せになるの。お宅上手くいってないんでしょう。クラスの他の皆さんも買ってらっしゃるのよ。もし買わないんだったら、このグループからはもう外れていただくしかないけれど」
 ……。
 おかしいと感じる度に疑問を投げた。けれど。説得されるに任せて、納得しないまま従った。変だと感じていたのに。納得したふりをして。その度に、お腹の中にはもやもやしたものが澱のように溜まっていった。そんなどろどろしたもので私の腹は溢れてしまっている。息苦しい。腹の中で小さな私が悲鳴を上げる。けれど、それは言葉にならない。
 代わり映えのしない年月を重ねる中にも、ほのかに灯りがともることがある。
 孫が生まれた。
「どうしておばあちゃんは働いていないの?」

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