小説

『コール&レスポンス』もりまりこ(『眠れる森の美女』)

 どうして隠すのかなって日奈は思う。あれはぜったい鼻歌よ。
 恥ずかしい態勢をひとりでしていた時、振り返ったら見られていたのかっていう時みたいに、隠すのって、ねぇ。おかしくない?って思いながら。だって、十三神父さんの前で誓ったよね。って心の中で畳みかける。鼻歌にこたえちゃいけないのか? そんな話はぜんぜん聞いてないんだけど。
 ひとりの時間が長いと、そういう暗黙の了解みたいな掟のことがよくわからない。聞いたひとも、確かめちゃいけないんだと、すこし反省した。しずかに耳のなかに閉じ込めたら、そのまましばらく寝かせておくのがいいのかもしれないと、日奈は悟った。次からはだまって鼻歌を聞こうと思う。

 その日の夜。隣で眠ってる田沼さんがなんかうなされているような、声にならない喉が鳴ってるみたいな声を発した。
 その形を持たない声らしきものが、だんだん声になってゆく。
 日奈は耳を澄ます。ちょっと真っ白い無の時間がやってきた後、「ぼ、ぼく、ともだちできるかな」って寝言を言っていた。
 日奈の耳には、確かにそう聞こえた。田沼さんもひとりの時間が長すぎて、どこかで友達プレッシャー症候群になっていたらしい。これって初期の症状なんだけど。
 そういえば、ともだちって言葉を田沼さんが起きている時には聞いたことがない。忌み嫌うかのように発しない。でもあんまり切ない声だったので日奈は、返事をしてあげた。
 だって、<病める時も健やかなる時も、どちらかの問いかけには、必ずなにがあろうとお返事をします>って誓ったから。
「大丈夫だよ。田沼さん、ちゃんと友達できるよ」
 そんなふうに寝言に返事をした。
 何を隠そうコールアンドレスポンスを、違えたことがないこと。それが日奈のささやかなよろこびだったのだ。じぶんのその返事に気をよくしていたら、田沼さんの寝言はおさまって。ふいに彼はがばっと起きた。
「どうした。日奈?」
 起きてたのか? 俺なんか変なこと言ってた感じがすっごくするんだけど? っておそるおそる聞いてきたから、大丈夫だよって返事をしようとしたら、日奈はふいに感じたことのない睡魔が襲ってきて。そのまま、ほんとうに泥のように眠った。

 丸く切り取られたガラス窓の向こうの水がたゆたっている。ときおりひかりの屈折を放ちながら。
 あっちの水は、甘いのか苦いのかよくわからないけれど、カエルがいた。
 夢の中で、田沼さんはまわりにいる人たちと対等に喋りながら笑っていた。

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